パリ五輪でアジア新記録を狙う山縣亮太。意識する「自分の経験値と専門家の知見のリンク」とは? (4ページ目)

  • 宮部保範●取材・文 text by Miyabe Yasunori
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

過去の経験・感覚をデータとして蓄積

ーーパリ五輪に向け、どんな取り組みをしているのでしょうか? 足りないと感じているところはあるのでしょうか?

 20年くらい競技をやってきていますが、ケガが多くて、ケガをするたびに自分に足りないことを突きつけられるんですよ。ケガを再発させないように、体の機能改善にものすごく時間をかけて練習しています。

ーー体を改善するにあたって、どんなふうに考え、実践しているのか気になります。

 いくつかポイントがあって、ひとつは自分のなかにある経験値を大事にしていることですね。自分のいい時の感覚と悪い時の感覚は、データとして年々蓄積されていきます。そのうえで、現状を克服するだけでは足りないので、理学療法士やドクター、新しくつけたコーチ、いろんな方々の知見を集めて、今まで自分が蓄積してきた経験値的な部分とリンクさせようとしています。

 コーチが言っていることは、「自分のあの時のあの感覚に近いな」とか。聞いたままにしておくのではなくて、それを何とか自分の頭で経験とすり合わせて処理できるようにつなげるというのは、すごく意識してます。

ーーコーチやドクターらから聞いたことを自身の経験と頭でつなぎ合わせる、と。小さい頃から勉強とスポーツを両立させてきたことは、今に活きているのでしょうか?

 そうですね。勉強はサボらず、頑張らずくらいのところでやってきました。スポーツは自然と頑張っちゃうんですけど、とにかく継続をしていくことの力の大きさ、生み出すエネルギーを今すごく感じますね。

 たとえば、陸上の話ですと、書き留めていたメモが5年くらいあとに、ふとした拍子で今とつながることがあるんです。書いた瞬間はつながらなくても、5年、10年先に、「自分が意識していたことは正しいことなんだ」と思える時がきたりする。本当に、サボらず続けてきてよかったなと思う瞬間ですね。

 僕はわからなくなったら、わからないことはわからないで一回隅に置いておく癖があるんですよ。それが将来的に、わかる、つながる瞬間がくると期待していますね。苦労をしている時にこそリンクすることも多いですね。

* * *

 2022年、山縣は膝のリハビリに注力するシーズンと決めた。2021年8月に開催された東京五輪を走り終え、同10月に手術をした時には2022年4月からレースに復帰するつもりだったという。

 しかし、パリ五輪を目指すにあたって、シーズンをまるごとキャンセルする不安より、脚に不安を抱えたままレースに臨む危うさを嫌った。

 幾多の困難を乗り越えるごとに、山縣は走りのステージを上げ、日本新記録を打ち立てた。100年の時を超えてパリで再び開催される五輪まで2年を切っている。彼が目指すのは、アジア新記録の9秒82。32歳で迎える次なるステージまでの道のりに注目したい。

終わり インタビュー前編「日本最速ランナー・山縣亮太の文武両道の少年時代。『陸上選手になろうと思っていたわけではなかった』」>>

<profile>
山縣 亮太 やまがた・りょうた 
1992年、広島県生まれ。陸上男子100メートル日本記録保持者(9秒95)。セイコー社員アスリート。広島市の修道中学・修道高校を経て、慶應義塾大学総合政策学部へ進学。在学中の2012年、ロンドン五輪に出場。2016年リオデジャネイロ五輪、2021年東京五輪にも出場。2021年、布勢スプリントで100メートル9秒95の日本記録を樹立。

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