藤澤五月が初めてブラックコーヒーを飲んだ20歳の頃、彼女を成長させたライバルと仲間たち

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro

連載『藤澤五月のスキップライフ』
11投目:ライバルと仲間に恵まれた20歳の頃

ロコ・ソラーレ藤澤五月の半生、"思考"に迫る連載『スキップライフ』。今回は、20歳前後に自らを成長させてくれた日々、出来事について思いを馳せる――。

2012年の日本選手権では決勝で本橋麻里率いるロコ・ソラーレ(当時LS北見)と対戦した。photo by Takeda Soichiro2012年の日本選手権では決勝で本橋麻里率いるロコ・ソラーレ(当時LS北見)と対戦した。photo by Takeda Soichiroこの記事に関連する写真を見る【中部選手権で切磋琢磨したライバルの存在】

 2012年の日本選手権は青森で行なわれました。当時はまだ、今の日本選手権のように前年度優勝チームに出場権が与えられるレギュレーションではなく、2011年に日本選手権を勝った私たち中部電力も、地域予選にあたる中部選手権を勝ち抜く必要がありました。

 中部選手権ではいつも、『城西大学』がライバルチームでした。ジュニア時代は『御代田AIM』という名前で活動していた、私と同世代の強豪です。大学に進学して競技を続けていた、ドローショットの技術がとても高いチームでした。

 その頃、国内のカーリングでは、どちらかといえばテイクを得意にするチームが多かったので、石がたくさん溜まる"ハイリスク・ハイリターン"の展開になる城西大学さんとの試合は、いつも緊張感がありました。

 特にスキップの土屋海選手は、ドローはもちろん、タップショットも上手で、私たちがいい展開を作っても、海ちゃんの絶妙なタップで何度もピンチになったのを覚えています。

 結果的に、中部選手権の決勝ではなんとか勝ちきれていましたが、競った試合ばかりで、振り返ってみても「たまたま勝てていただけかもしれないな」と思うくらい、勝因は今でもわかりません(苦笑)。

 ただ、「負けたら日本選手権に出られない」という小さくないプレッシャーのなかで、リスクのあるショットを地域予選から投げて、勝つことができた。その経験が、連覇を達成できた2012年をはじめ、日本選手権でのいい結果につながったのかな、と感じています。

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