F1日本GPを語ろう(1)中嶋悟 角田裕毅は生徒の時から「クルマを動かす意思」を持っていた (3ページ目)

  • 吉田知弘●取材・文 text by Yoshita Tomohiro

── 現在は角田裕毅選手がF1フル参戦中ですが、彼の活躍ぶりはいかがでしょうか?

「けっこうがんばっていると思いますよ。上位陣の次のところには必ずいてくれるといいなと思っています。

(全体の位置関係的に)ちょうど真ん中あたりにいつもいるようなので、そのなかで少しでも上を食っていけるようになれば、カッコいいのではないかなと思います」

── 中嶋さんが鈴鹿サーキットレーシングスクールの校長をされていた時、角田選手も生徒でしたよね?

「ええ。彼からは『自分ではっきりとクルマを動かしたい』っていう意思が感じられていました。一時の速い・遅いではなくて、自分の意思で『クルマの方向をこう変えたい』としていたことや、そこに対する努力が見えました。そこは光っていたと思うし、今、F1で戦っているなかで活きている部分だと思います。

 今の車は性能がいいから、それなりに走ってくれます。そのなかで(ドライバーが)クルマに対応していくのか、それともクルマを対応させるのか、ちょっとした違いがあると思うんですけど、そういうドライブをしているからいいなと思います」

── 鈴鹿サーキットで開催されるF1日本グランプリが今年、初めて春に開催されます。

「自分の頃はシーズン最終戦のひとつ前に日本グランプリがある、というイメージだったけど、今年はシーズンの始まりにやってくるわけですから、勢力図がはっきりとしないうちに(鈴鹿に)来るということですね。

 秋開催の時は勢力図がだいたい決まっているから、トップの何台かの争いみたいなのがあったけど、今年はまだわからないのかなと......。ある程度は多少、想像がつくかもしれないけど(笑)。でも、そういう意味で言うと、レースとしてはいろんなどんでん返しもあるんじゃないかという気がします。

 現役を引退した以降は(F1日本GP期間中に)いろんなイベントステージに立たせてもらっています。そこでいつも『1年のご無沙汰』と言っていて(笑)、F1のお客さんと会えるのは年に1度という感じでした。それが半年ぶりになるのも、新鮮な感じではありますね」

<了>


【profile】
中嶋悟(なかじま・さとる)
1953年2年23日生まれ、愛知県岡崎市出身。高校在学時からカートに夢中となり、卒業後に本格的にレース活動を開始。1981年〜1986年の6年間で5度のF2王者に輝き、1987年にロータスのシートを獲得して日本人初のフルタイムF1ドライバーとなる。1990年にティレルに移籍し、1991年を最後に現役引退。引退後はNAKAJIMA RACINGの総監督として国内の各カテゴリーに参戦し、多くの有望なドライバーを輩出している。

プロフィール

  • 吉田知弘

    吉田知弘 (よした・ともひろ)

    モータースポーツジャーナリスト。1984年12月19日生まれ、石川県出身。2011年よりスーパーGT、スーパーフォーミュラなど国内4輪レースを中心に取材。専門誌やweb媒体などで執筆中。日本モータースポーツ記者会所属。

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