F1日本GPを語ろう(1)中嶋悟 角田裕毅は生徒の時から「クルマを動かす意思」を持っていた (2ページ目)

  • 吉田知弘●取材・文 text by Yoshita Tomohiro

── 中嶋さんが現役でF1を走られていた頃から、長い年月が経ちました。今のF1日本グランプリの盛り上がり方やファンの雰囲気は変わりましたか?

「そんなに変わっているとは思わないですね。自分が現役の頃からずっと見ている人もいますし、(鈴鹿で日本GPが開催されるようになった)35年以上も経ってから見にきてくれている人もいます。新たな若いお客さんも増えていますよね。

 もちろん、興行面というかF1の見せ方という部分は多少変わってきたと思いますけど、根本的にはF1ファンはずっといらっしゃるなっていう気がします。

 年配者もいれば、若い人もいる。これが長い間、F1日本グランプリをやっている特徴のひとつだと思いますし、すごくいいことなんじゃないかなと思います」

── 1980年代〜1990年代から毎年鈴鹿に通っているファンもいるのですね。

「F1日本グランプリのイベントステージでファンと交流する時に『昔も鈴鹿に来たことがある?』と聞くと、まあまあの数はいらっしゃいます。なかには1987年から全部来ている人もいて。

 それこそ、一時期はホンダが参戦しなかった時もあれば、日本人ドライバーがいないという時もありました。それでも見に来てくれる人が大勢いらっしゃって、応援するターゲットがいてもいなくても、『F1を見に来る』という感じなのでしょうね」

── F1現役時代のチームメイトやライバルとの思い出は?

「やはり、アイルトン・セナとかネルソン・ピケとか、有名な人たちと一緒で、自分よりうまい人ばかりがチームメイトだったという記憶はありますね。

 鈴鹿は僕も経験があるから(セナとの差は)少しは縮まったけど、根本は変わらなかったです。やっぱりグランプリドライバーは初めてのコースであっても、10周も走ればそれなりのレベルで走ったので、そこからコンマ1、2秒が詰められたとしても、走り込んだからと言って大きくタイムが上がるということはなかったですね」

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