角田裕毅は10万人のファンの前で全力を出しきった! 小林可夢偉以来の日本GP入賞は来年に持ち越し (3ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • photo by BOOZY

【角田裕毅にとって致命的となった9月の残暑】

 もちろん、1回目のピットストップで入れ替わってしまった順位を2回目のピットストップで元に戻すかたちを採ったのだから、チームにとって大きな脅威が生じないかぎり、順位の入れ換え指示を出さないのは当然のことだった。

 端的に言えば、この結末はスタートの時点で決まっていた。それだけ角田とローソンのレースペースには大きな差がなかった、ということでもある。

「速さはあったのに、引っかかって高速コーナーでタイヤがオーバーヒートして抜けなくて、どうしようもありませんでした。何のメリハリもない、よくわからないストラテジー(戦略)でした。ピットインのたびに誰かの後方に戻ることになり、チャンスとパッケージを最大限に結果につなげることができなかったのは残念です」

 アルファタウリと角田にとって致命的だったのは、そのチームメイト間の戦いではない。問題はアルピーヌ勢2台に先行を許し、入賞圏外に押し出されてしまったことだ。

 この9月の残暑が、日本GPをタイヤに過酷なレースにした。例年ならそれほど問題にならないリアタイヤのオーバーヒートが予想以上に進み、驚くべき速さでグリップとラップタイムが落ちていった。

 ミディアムがソフトと同じくらいタレてしまい、決勝ではハードタイヤでなければ長く走ることができない。それが金曜最初のフリー走行で判明し、2セットしかないハードをフリー走行で使わず決勝に温存したマクラーレンやメルセデスAMG、アルピーヌに対し、FP1でハードを使ってしまったレッドブルやフェラーリは不利な状況に立たされることになった。

 アルファタウリはFP1でハードを使わなかったものの、決勝よりもまず予選で上位に行くためにソフトを温存することを優先し、FP2でソフトの代わりにハード、FP3ではミディアムを使った。その結果、予選で9位・11位という結果を手にすることができたのは確かだが、ハードもミディアムも1セットしか残っておらず、決勝の戦略があまりにも苦しくなった。

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