カレン・ロバート「Jリーグに戻ろうとはまったく思わなかった」本場イギリスでのプレーにこだわったわけ (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Asada Masaki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 カレンがイギリスにこだわったのには、もちろん、理由がある。

「サッカーの母国でプレーしたい」という願望もそのひとつではあったが、それ以上に家族を喜ばせたかったから。イギリスは父の母国であることが最大の理由だった。

「お父さんにイギリスでサッカーをしてる姿を見せたいっていうのもありましたし、お兄ちゃんもイギリスのサッカーが大好きだったし。僕も小さい頃、ちょっとの間ですけど、イギリスにいましたから」

 そこには幼いながらに味わった、現地での体験も影響している。

「地域の公園みたいなところだったと思いますが、どこかのクラブにまぜてもらってサッカーをやったのは、うっすらと覚えてます。イギリスの公園ってすごく広くて、ロンドンでも広い公園がたくさんあって。そこで毎週末、小さな子どもから大人までがサッカーをしている印象が、僕の頭のなかにはずっとありました。

 日本だと、僕が小さい頃には公園でもサッカーをやっていい時代が少しはありましたけど、大人もやってるっていうのは、まずなかったんで」

 いわば、イギリスのサッカー文化に対する憧憬。そんな思いを一層強くさせる出来事があったのは、高校時代のことだ。

「ミルクカップっていう北アイルランドで開かれている(ユースの)大会があるんですけど、そこに市船(市立船橋高)で参加させてもらって。その時に日本では味わえないようなサッカーの熱っていうものを、すごく感じたんです」

 そして、ミルクカップ出場を「選手権(全国高校サッカー選手権大会)で優勝しようが、何をしようが、日本でやっている時より、はるかに喜んでくれた」のが、現地まで応援にやってきた父だった。

「お父さんの地元(北アイルランド)でサッカーをやったというだけでなく、マンチェスター・ユナイテッド(のユースチーム)との試合で僕が2点決めて、向こうの新聞にも取り上げてもらったんです。日本で頑張ってる北アイルランド人、みたいな感じで(笑)。

 そういうのをすごく喜んでくれたことも印象的だったので、もう一度お父さんを喜ばせてあげたいなっていう気持ちはずっとありました」

 さらに時間を巻き戻せば、カレンが「ロバート」と名づけられたこともまた、彼とイギリスのサッカーとを強く結びつけるものだったのだ。

 北アイルランド出身であるカレンの父は、同国の英雄的スタープレーヤーである「ジョージ・ベストが大好きでした」。と同時に、彼が所属するマンチェスター・ユナイテッドの大ファンでもあった。

「ベストさんと同じ時期にボビー・チャールトンさんがいたんですけど、そこから僕の名前はつけられたんです」

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