広島ひと筋19年目の青山敏弘が背負ってきたもの。「ピッチに立てなくても、みんなの想いは伝わってきた」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • スエイシナオヨシ●撮影 photo by Sueishi Naoyoshi

工藤壮人とプレーした2年間

 さらに、当日の朝にショッキングな報せが届く。かつて広島に所属した工藤壮人さんが病に倒れ、帰らぬ人となったのだ。正常な心理状態で試合に臨むには、あまりにも酷な状況だった。

 負の歴史を塗り替えるために。6日前の悔しさを晴らすために。そして工藤さんのためにも----。広島の選手たちはさまざまな想いを胸に秘め、このルヴァンカップ決勝に臨んでいた。

 おそらく、そのすべてを背負っていたのは青山敏弘だろう。広島ひと筋19年目を迎えたクラブの象徴は、リーグ優勝3回の歓喜を味わった一方で、それ以上の悔しさを経験してきた。

 2010年の磐田との決勝では1点リードで迎えた56分からピッチに立ったものの、そこから逆転負け。2014年は佐藤寿人からキャプテンを引き継いだシーズンだったが、リーグ3連覇を逃し、G大阪との決勝にも敗れ、涙を流している。

 天皇杯では2007年の決勝はケガのためにピッチに立てず、2013年も勝利に導く活躍はできなかった。

 そして2017年から2年間、広島に在籍した工藤さんとも、出し手と受け手の関係性を築いている。

 今年で36歳となった青山は、ミヒャエル・スキッベ監督のスピード感あふれるサッカーにフィットできないでいた。

 2006年にミハイロ・ペトロヴィッチ監督に見出され、レギュラーの座を掴んで以降、広島の中盤には常に青山の姿があった。何度も大きなケガを負い、長期離脱を強いられながらも、その都度這い上がり、ポジションを取り戻してきた。昨季もリーグ戦では32試合に出場し、変わらぬ存在感を見せつけている。

 ところが、今季は開幕戦こそスタメン出場を果たしたものの、徐々にベンチスタートが増え、ついにはメンバーに入れないことも珍しくはなくなった。リーグ戦ではここまで14試合に出場し、スタメンは4試合のみ。甲府との天皇杯決勝でも、メンバー外となっていた。

 ルヴァンカップ決勝はメンバー入りを果たしたものの、出番は最後まで訪れなかった。

 それでもピッチに立てなくとも、青山はベンチから仲間を鼓舞し続けた。ピンチの場面や微妙な判定にはライン際まで歩み寄り声を張り上げ、チャンスの場面ではゴール裏に詰めかけた大観衆をあおる姿も見られた。熱さを胸に秘めながら、いつもクールに振る舞っていたかつての青山を知る身とすれば、驚きの光景である。

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