江川卓から放った1本のホームランで人生激変 宮崎実業の石淵国博はドラフト7位で広島に指名された (2ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 阿部と小宮山は高校卒業後、早稲田大へ進学。そして石淵は1973年のドラフトで広島から7位指名を受け入団を果たした。石淵は強肩強打の捕手として県内では知られた存在だったが、甲子園出場はなし。そんな石淵がなぜプロから指名されたかと言えば、江川から放った1本のホームランがきっかけだった。すでに50年経つのに、いまだに地元で話題に上がるほど、もはや伝説となっている。

 以前、江川に高校時代に(投球を)引っ張られたことがあるかと尋ねると、こう返ってきた。

「ええ、宮崎でありますね。それは覚えています。高校時代に引っ張られて打たれた、唯一のホームランです」

 ホームランどころか、高校3年間で完璧に引っ張られた記憶は、この石淵しかいない。

 ひと昔前のキャッチャー然とした体格のいい石淵は、懐かしそうに口を開いた。

「ゴールデンウィークでの宮崎県高野連主催の招待試合で、作新学院と試合をしました。レフトの位置を見ると、サードのちょっと後ろくらいに守っているのが見えました。定位置までは飛ばないと思って、その位置で守っていたんでしょうけど、さすがに『この野郎』って感じでしたね(笑)。先頭打者が初球をファウルチップしただけで、満員の観客が『ウォー』と大歓声なんです」

 ファウルで歓声が起こるのは、江川が投げる試合ではお馴染みのシーンである。実際、その場面に立ち会った人にしかわからない一種独特の光景のせいか、必ず興奮気味に語りかけてくる。石淵が続ける。

「その日は5番で、最初の打席はショートライナーでした。私が初めて芯でとらえました。2打席目は思いきりヤマを張って打席に入りました。ショートライナーを打っていたこともあって、ボール自体は当てられると。1球目、とくに目的もなくバントの構えをして様子を見ました。アウトコースのストレートでした。2球目か3球目に絶対インコースに来ると確信しました。ベースから少し離れて立ち、アウトコースに来たら三振してもいいと思って、とにかくインコースだけを待ってました。そしたら3球目に来たんです。振り負けないようにコンパクトに振り抜きました」

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