斎藤佑樹が30歳になって気づいた境地 「『人が喜ぶ顔を見たい』というスタイルで野球をやれていれば...」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 そういうのってめんどくさいなって思うようになったのが、30歳になった頃でした。たとえば自分が野球をやっている意味を考えたとき、それは周りの人のためだ、なんてザックリと思っていたんです。でも、それって結局、僕が楽しいからだったんですよね。

 じゃあ、僕が楽しいと感じるのは何なのか......そこはぐるっとひと回りして、やっぱり僕が野球をやると喜んでくれる人がいて、そういう人の笑顔とか喜ぶ姿を見ることなんです。子どもの頃、野球を始めた時の感情と一緒で、両親に褒めてもらいたいとか、そういう想いが楽しさの原点でした。

 小学生の頃、三振取って、ホームラン打ったら、お父さんもお母さんも喜んでくれましたし、チームメイトの父兄のみなさんも喜んでくれました。中学生になったら仲のいい友だちとか、学校のみんなも応援に来て、僕の野球で喜んでくれるのを肌で感じていました。高校に入って、2年生の秋、日大三高に勝った時は学年で応援に来てくれて、全員が喜んでくれました。あの時はたまらなく楽しかった......僕はずっと、その時のように自分が投げて、勝って、応援してくれた人たちがスタンディングオベーションで迎えてくれる瞬間をイメージしていたのかもしれません。

 要は、選手として今のマウンドで戦っている僕だけではなくて、僕の日常や試合を迎えるまでの姿勢とか生き方とか、そういうものに共感してくれた人たちが集まって、「よくやった」と思ってもらいたかったんです。

 まず自分が全力で集中して楽しんで、周りを楽しくさせる。それを見ている人たちがいつしか心が躍る......僕がもともとの「人が喜ぶ顔を見たい」というスタイルで野球をやれていれば、もうちょっといいピッチングができたのかもしれません。

 けれど、勝ちたいとか、防御率とか勝ち星とか、プロ野球選手として評価されなければいけない。ただ純粋に目の前のバッターを抑えて、そこからすべてが始まる。それを見て喜んでくれる人がいるはずだと考えられれば、楽しく、のびのびと野球ができたかもしれないと思います。

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