斎藤佑樹が30歳になって気づいた境地 「『人が喜ぶ顔を見たい』というスタイルで野球をやれていれば...」 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 むしろそれまでとは真逆で、なぜ失敗したんだろうと考えてしまいました。ただ、それは決してネガティブな意味ではなく、失敗をちゃんと解釈しようと思えるようになった、ということでもあります。失敗を一つひとつ解釈して、前に進もうと思っていました。それが、打たれた恐怖心を抱くことにつながってしまったのかな。

 失敗を解釈しないでやってきた18歳までは、アスリートとしてはすごくよかったのかもしれないし、感性を大事にしていればそれでよかったのかもしれません。でも人として考えたとき、失敗を解釈できなければ何も後に残らないと思ったのが30歳の頃でした。

 もし18歳のままの僕が、そのまま人前に出続けていたら、すごく恥ずかしかったと思います。いろんな失敗を経て、それを解釈しようとしたからこそ、少しだけ人間的な成長につながったのかなと、そう思っています。

【30歳になって気づいたこと】

 4月の東京ドームで勝てず、次のチャンスは30歳になった直後(6月12日)の交流戦、札幌ドームのタイガース戦でした。この日はホームランを2本打たれて(髙山俊、中谷将大)、4回(7失点)で交代......結局、この年はここで終わってしまいました(10月にリリーフで1イニング投げて、一軍では3試合、0勝1敗、防御率7.27)。

 思えば30歳になってからは、周りからの評価のされ方には違いを感じていたような気がします。30歳だからこうしたほうがいい、30歳だからどうあるべきだ、みたいな......ただ当時の僕は20代初めの頃にイメージしていた30歳の自分を追い抜いたような感じを持っていました。

 同じ世代の友だちからは、「30歳ってもっと大人だと思っていた」というような話をよく聞いたんですが、僕は自分が想像していた30歳のイメージを、ちょっとだけ追い抜いた気がしていました。

 それは、ようやく自分のなかでいろんなものがハッキリと見えてきたからなのかもしれません。自分が野球をやっている意味とか、自分がなぜ野球をやってきたのか、なぜこんなに野球が好きなのかとか......そういうことを答えるときにも、それまでの僕はいちいちこだわっていたんです。要は、カッコつけていたんでしょうね(笑)。

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