銚子商との雨中の激闘は押し出しでサヨナラ負け 江川卓は不完全燃焼のまま高校野球を終えた控え投手を気遣った (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

【好きな球を投げてもいいか?】

 そして運命の延長12回裏、銚子商の攻撃。

 雨でボールが滑りやすいためか、先頭打者を四球で出し、その後、ライトフライ、センター前ヒット、四球で一死満塁となる。2番の長谷川泰之に対し、カウント2ボール2ストライクから高めに大きく外れてボール。ここで江川はタイムをかけ、内野陣を集めた。

「次の一球、好きな球を投げてもいいか?」

 チームメイトは、こんな頼りなさそうな江川の顔を見るのは初めてだった。

「ここまで来たのはおまえのおかげだから、好きなボールを投げろ!」

 反江川の急先鋒と言われていたファーストの鈴木秀男が言った。新チームになってから、マウンドに集まったのは後にも先にもこの一度きりだという。「よし!」と、江川の顔に精気がみなぎった。

 打者の長谷川は細身の小柄な選手で、3年夏前にレギュラーに抜擢された。1、2年は対戦相手の試合を偵察するのがおもな仕事だった。3年になると、1年生の篠塚利夫(現・和典)がすぐレギュラーとして起用されたため、控えの内野手としてプレー。しかし、ある日の練習で篠塚が骨折し、以来、長谷川がレギュラーに抜擢された。

 とにかく長谷川は1年の時から、誰よりも江川を見てきた自負がある。長谷川のなかには、高校1年、2年の時の江川が強烈に印象に残っており、その時と比べると高校3年は球威もスピードも格段に落ちていた。だからこそ「今の江川はたいしたことがない」と、長谷川は精神的に優位に立つことができた。

「これが最後だ!」

 江川が力いっぱい投げたこの日169球目の球は、大きく高めに外れた。

「ボール!」

 無情にも押し出しサヨナラという形で試合は決まった。

「終わった......」

 そう呟きながら、うしろのポケットに右手を入れながら、江川は静かにマウンドを下りた。

「ボールにはなりましたが、高校3年間のなかで最も悔いのない、最高のボールでした」

 江川が半世紀経った今でも、そうはっきりと述べる。

 雨に散った江川は、試合が終わった瞬間、悔しさよりも「あ〜終わったんだ」という気持ちになったと語る。それは満足感や安堵感とも違う、ただ試合が終わったんだという現実を受け止めた。

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