星野仙一政権の阪神を支えた元通訳が語る「助っ人外国人」との付き合い方「バルデスが激怒して...」 (2ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文text by Shiratori Junichi

【助っ人たちと接する上の意外な苦労】

――通訳として苦労したことはありますか?

「アメリカ南部のテキサス州出身のムーアが話す英語は、少しわかりにくかったですね。特にご両親が来日された時は、地域特有の訛りがあるので聞き取るのが大変でした(笑)。翌2003年に加入するオーストラリア人のジェフ・ウイリアムスも、独特なイントネーションの英語を話していたように思います。

 また、英語圏以外の国の選手たちが話す英語を通訳することもありましたね。ただ、それぞれの細かな違いはありましたけど、日本に来る"助っ人"は多少なりともアメリカの野球を経験していますから、『まったく聞き取れない』ほどではなかったように思います」

――選手の家族とも交流の機会があるんですね。

「外国人選手は家族を大切にする文化があるので、選手の家族に対するサポートも重要な業務のひとつです。具体的には、選手の遠征に同行する家族のためのホテルや新幹線のチケットの手配、ディズニーランドのチケットの予約をすることもありました。時には遠征先で、家族の観光に同行するケースもありましたよ」

――選手のプライベートにも寄り添うんですね。

「そうですね。さまざまなところに気を配らなければならないんですが、特に気を遣ったのは日用品の買い物でした。お店に並ぶ日用品のパッケージはほとんど日本語で書かれているので、来日したばかりの選手は戸惑うことが多くて......。そんな選手の買い物に同行して『どんな商品なのか』を説明したり、美容室で選手の希望を美容師さんに伝えたり、といったこともありました」

――"助っ人"たちは、試合におけるストレスや葛藤とはどう向き合っていましたか?

「開幕7連勝スタートを切った2002年はあまり見られませんでしたが、連敗が続いた時などは、外国人選手がやり玉に挙げられやすかったです。例えば、優勝した2003年に主力だったジョージ・アリアス(打率.265、38本塁打、107打点)でも、チームの成績がよくないと『打率が低くて三振が多い』と言われ、勝てない要因にされてしまうこともあるんです。

 それでも多くの外国人選手は、さまざまな批判を受けやすい状況を受け入れ、『長いシーズンをどう戦い抜くか』を考えながら必死にプレーしていました。彼らの姿勢に"プロ野球選手のすごさ"を感じましたし、僕も多くのことを学んだように思います」

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