星野仙一政権の阪神を支えた元通訳が語る「助っ人外国人」との付き合い方「バルデスが激怒して...」 (3ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文text by Shiratori Junichi

【抑え候補のバルデスが激怒】

――当時の星野監督は、外国人選手に対してどう振る舞っていましたか?

「『星野監督は外国人選手の心を掴むのが本当に上手だな』と思いました。キャンプ期間中に、外国人選手だけを集めた夕食会をホテルのレストランで開いて結束を強めたり、試合前に星野さんに呼び出されて、恐る恐る監督室に行くと外国人選手の奥様に用意した誕生日プレゼントを渡してくれたり。選手に対してさまざまな気遣いをしていましたね」

――監督室に向かうのは「恐る恐る」だったんですね。

「正直に言うと、怖さしかありませんでした(笑)。当時の僕はまだ20代で、通訳の仕事も始めたばかり。テレビで見ていた星野さんの"闘将"のイメージは強烈でしたし、ご本人を目の前にすると萎縮してしまうこともあったと思います。

ただ、怒っているイメージが強いかもしれませんが、選手を個別に呼び出したり、いきなり怒鳴るようなことはなかった。厳しい言葉を口にするのは、ミーティングで選手が集められた時など、ごく限られた場面だけだったと記憶しています」

――星野監督時代に、外国人選手と揉めたことはありませんでしたか?

「先ほど話した外国人選手を集めた食事会で、星野監督は『部屋の鍵を開けておくから、気になることがあればいつでも監督室に来てくれ!』と伝えていました。とはいえ、その言葉を文字どおりに受け取る選手はほとんどいないんですけどね。

でも、キャンプの時に『抑え候補』と言われていたバルデスが、オープン戦で結果を残せなかったことがあって。『別の投手を抑えで起用するかもしれない』という噂を耳にしたバルデスが、『今からホシノに直訴しに行く!』と言い出したんです。僕は必死に止めたんですが、気持ちが昂っている彼には何も聞き入れてもらえませんでした」

――どのようにその場を収めたんですか?

「ひとまず、『何かあったら俺のところに来い』と言ってくださっていた島野育夫ヘッドコーチのところにバルデスを連れていって、話し合ってもらうことにしたんです。すると島野さんはバルデスに『星野は、開幕からお前を抑えにすると言っていたから心配するな』と諭してくれて。それで彼は落ち着きを取り戻しました。

 島野さんは、開幕した後もいろいろ気を遣ってくださったので本当に助けられました。翌2003年、阪神が18年ぶりにセ・リーグ優勝を果たした時も『島野さんの力が大きかった』と話す方も多かった。当時のチームを支える大切な存在だったように思います」

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