斎藤佑樹が決死の覚悟でつかんだバースデー勝利「6月もダメなら野球人生が終わる」 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 甘く、中に入ってもダメだし、外にズレちゃうとフォアボールになってしまうからダメ、気を張って丁寧に投げ続けることができました。初回にニック(・スタビノア)にタイムリーを打たれて1点を先制されましたが、その裏、すぐに追いついて、1−1のまま、試合は進みました。

 あの日に投げ合った相手はカープのルーキー、野村祐輔です。野村は一つ下ですが、早実が優勝した翌夏、甲子園で準優勝した広陵高校のエースでした。神宮では明治大学のエースとして投げ合った、僕にとってはライバルと言っていい存在です。5月に広島で先発した時もカープの先発は野村で、その時は0−1で負けていました。プロではこの日が2度目の投げ合いです。ルーキーながら野村は防御率でリーグトップを争うほどの数字を残していて、手強い相手でした。

【1カ月ぶりの勝ち星】

 1−1のまま迎えた8回表、僕はカープの攻撃を10球で終わらせました。慎重になりながらも、ずっとストライクゾーンで勝負することができていました。三振はとれませんでしたが(奪三振ゼロ、被安打5)、早いカウントでポップフライや内野ゴロを打たせて(29人のバッターのうち16人を3球以内で終わらせていた)、球数も少なく8回まで来ることができました。

 ただ内容は野村のほうが目立っていて(奪三振7、被安打2)、真っすぐでの見逃し三振が多かった(5つ)からか、圧巻のパワーピッチングをしているイメージがありました。

 ただ、野村に何かしらのアクシデントがあって8回にカープのピッチャーが代わります。そこで(金子)誠さんが三遊間を抜くヒットを打って、その後、ツーアウト1、3塁から田中賢介さんがライト前へタイムリーを打ちます。8回裏に2−1と勝ち越して、9回はクローザーの武田久さんに代わることになりました。

 これがファイターズの勝ちパターンでしたから当然だと思いましたが、同時に、まだ僕の球数にも余裕がありましたし(8回を終えた時点で88球)、最後まで投げたいという気持ちがなかったといえばウソになりますね。

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