斎藤佑樹の心を蝕んでいった「函館のトラウマ」 真っすぐをストライクゾーンに投げることが怖くなった (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 その後、交流戦でカープの(ルーキー、この時点でリーグトップの防御率を誇っていた)野村祐輔(斎藤より1学年下で明大卒)と投げ合った時には、手応えのある内容のピッチングができました。

 ともに7回で交代となって、試合は0−1で負けてしまいましたが、あの時は函館での9失点のピッチングを払拭できたのかなと思いました。でも、その次のドラゴンズとの試合(5月25日、札幌ドーム)で函館の記憶が蘇ってしまいます。それはドラゴンズ打線が意外なアプローチを仕掛けてきたからでした。

 ドラゴンズ打線は僕の低めの球を捨てて高めに絞ってブンブン、強振してきたんです。荒木(雅博)さん、森野(将彦)さん、(トニ・)ブランコ、谷繁(元信)さん、井端(弘和)さんも......和田(一浩)さんに至っては高めのボール球にも手を出してきました。フルスイングのほとんどがファウルになっていたんですが、ドラゴンズの高めへのアプローチは徹底していました。

 この高めへのフルスイングには、ボディブローのようなダメージを与えられた気がします。高めに投げるたびにフルスイングされるというプレッシャーが、僕のピッチングを慎重にしてしまいます。低めを突こうとしてストライクが入らず、ストライクをとろうとして、それが高めに浮くとフルスイングされる......結果的にファウルになっているんですからそんなに恐れることはないはずなのに、どうしても意識が低めに向いてしまうんです。

 そうなると、ストライクを先行させるのが難しくなります。初球、ポーンとストライクがとれていたのはプロのバッターとの距離感がつかめて、ストライクゾーンに投げてもそう打たれるものじゃないという余裕を得たからでした。その気持ちのゆとりがいいリズムにつながっていたのに、函館でのトラウマが僕のピッチングを慎重にさせて、狂わせてしまったのかもしれません。

 ドラゴンズとの試合では5回を投げきったところで100球を超えて(109球)、6回途中で5失点のノックアウト。最後は投げる球がなくなってしまった感じでした。

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