「センセーショナルで得体の知れないチーム」プリンスホテルが社会人屈指の強豪になるまで 最後の監督となった足立修が明かす (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

「それと、松商から1年上の川村先輩(一明/元西武ほか)がプリンスに入っていました。でも川村先輩は、ドラフト1位指名を蹴ったわけです。『えっ? どういうこと?』ってなりますよね。石毛さん(宏典/元西武ほか)、中尾さん(孝義/元中日ほか)が入った時も、すごいな、なんだこりゃ、って思ったし。センセーショナルで得体の知れないチームという印象でした」
 
 理解しがたい部分もある会社ながら、その時点で創部6年目にして9名がプロ入りしていたチーム。足立には、肩さえ治ればプロを目指せるという思いもあった。一方、古川のほかに創部時の副部長、当時は顧問の奥田裕一郎からも誘われ、その野球に対する情熱に心が動いた。さらに監督の石山からも勧誘され、野球部の日常生活や社業の説明を受けた。

「最初に石山さんに言われたのが、みんな『笑っていいとも!』見てるんだよ、でした。選手は朝、バスでグラウンドに行って、昼には寮に帰ってきてテレビを見ていると。つまり全体練習は午前中だけで、あとの練習は個人、個人に任されていると。で、ほとんど会社には行かなくていい。そう聞いていました。でも、入ってみたら一日練習だったんですよ(笑)」

 話が違う──。足立自身はそんなふうに思わず受け容れたが、バスの中では「え? 今日も一日?」といった先輩たちの不平が聞こえてきた。聞きながら、思い当たることがあった。前年、85年の都市対抗、プリンスは優勝候補に挙げられながら1回戦で敗退。足立は後楽園球場で観戦していただけに、「あの負けで練習方針が変わったのでは?」と想像できた。

「真相は不明ですけど、オープン戦の時にほかのチームの方から聞いたことがあります。『当たり前だよ、一日練習。会社に行かずに、会社から給料もらって野球やってるんだから、練習して結果を出さないと』って。やっと普通の社会人チームになったんだな、と言ったらおかしいですけど、ほかのチームから見て普通じゃなかったんですね。いま思えば、それだけ個人を尊重して、責任が重かったんだと思います」

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