鉄平「オリックスでは行方不明状態でした」2度のトレードで味わった悔しさと寂しさを明かす (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Sankei Visual

── 2009年に首位打者(打率.327)を獲得された時は、さすがに自信がついたのではないですか。

鉄平 あの年にしても、春先とシーズン終盤の構えは全然違います。野球人生を振り返っても「これでいける」と思ったことはないですね。さっきも言いましたが、これは僕の性格かもしれませんが......(笑)。

── 鉄平さんの打撃へのこだわりをひと言で表現すると?

鉄平 僕が大事にしていたのは「バットの出(で)」です。(左打者の)僕が構えていて、右足を地面に着いて、打ちにいく瞬間にどれだけ早くスムーズにバットを出せるか。「ここだ!」と思った瞬間に、バットをミートポイントまで持っていけるか。それができている時はいい打球が多かったように思います。

── 2011年に低反発の"統一球"が導入され、「すべてを失った」というコメントがありましたが、その時の心境はどのようなものだったのですか。

鉄平 無駄に力が入るようになりました。結果的にそこまで気にしなくてよかったのかもしれないですが、打感の悪さや飛距離の減少に過敏に反応してしまいました。インパクトまでのバットの持っていき方や力の入れ方を変えてしまい、その後の打撃がうまくはまらず、悪循環に陥りしました。

【日本一直後のトレード】

── 2013年には選手会長を務め、球団創設9年目で悲願のリーグ優勝、日本一を達成されました。

鉄平 やっと優勝できたなという気持ちでした。その一方で、僕はあのシーズン、後半はあまり役に立てていないんです。日本シリーズにも出ていませんし......。だから、悔しさのほうが大きかったですね。ただそういう反骨心がないと、プロ野球選手としてやっていけないと思うんです。

── 2013年オフにトレードでオリックスに移籍。オリックスでは2年間プレーされ、33歳で現役を引退されました。

鉄平 この移籍は悔しいというより、寂しさのほうが大きかったです。自分を大きくしてくれた楽天への強い思いがありましたし、そこで終わるのかなという気持ちもありましたから。中日から楽天に移籍してきた時とは違う"寂しさ"でした。

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