「調子がよかったら10割打つのでは、というイメージ」谷繁元信が対決を楽しんだ6人の日本人バッター (4ページ目)

  • 中島大輔●取材・文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Jiji Photo

「ピッチャーを攻めにいくんですよね。ほぼ踏み込んでいき、全然逃げない。内角も狙えば打ちます。ほぼフルスイングで、低めのボールもバットの先で拾ったり、それでスタンドまで入れたりする力もある。打てるゾーンが広かったですね」

 小笠原は現役19年間で打率.310、OPS.932。穴が少なく、長打もあるこの左打者に対し、谷繁氏はどう攻めたのか。

「右ピッチャーでは、インサイドでファウルを打たせながらカウントを稼いで、アウトハイのストレートか、アウトコース低めに落ちるフォーク。初球から打ちにきそうだなと思ったら、1球で打ち取れる球種を選んで抑えにいく、という感じでした」

 球史に名を残す好打者には、類まれな打撃センスに加え、人知れぬ創意工夫がある。谷繁氏が改めてそう実感したのは2001年オフ、FA宣言して中日に移籍し、チームメイトになった一流打者を目の当たりにしてのことだった。

「立浪(和義)さんは練習中、いつも『繁ちゃん、掴んだよ』って言ってくるんですよ。こっちからすれば、『もともと掴んでいるじゃないか?』と思いながら(笑)」

 PL学園から入団1年目の1988年にショートのレギュラーをつかんで新人王を獲得した立浪和義は、中日の顔として2009年まで22年間の現役生活を送り、史上最多の487二塁打を放った。晩年は腰の張りや体のキレが落ちて思うようにバットが出ないこともあったが、谷繁氏は練習での取り組みを見ながら、一流打者の土台にあるすごみを見せつけられた。

「試合で追い込まれたあとにレフトへパチーンとヒットを打ち返すと、次の日の練習で同じように打っているんです。それでいい当たりが2、3回続いた時に、『繁ちゃん、掴んだよ。これだ』っていつも言っていました(笑)。日々工夫し、自分を変化させていく。いい成績を残している人は、そうやって自分のバッティングを作り上げているんだなと思いましたね」

 名勝負の裏には、人知れぬ努力や工夫がある。プロ野球で誰よりマスクをかぶってきた男の配球論に耳を傾けると、頂点に立つ者たちのすごみが浮かび上がってきた。

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