「調子がよかったら10割打つのでは、というイメージ」谷繁元信が対決を楽しんだ6人の日本人バッター

  • 中島大輔●取材・文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Jiji Photo

名捕手・谷繁元信氏が語る「配球が難しかったバッター」@日本人編

 1988年ドラフト1位で大洋(現DeNA)に入団してから通算27年間、谷繁元信氏はプロ野球史上最多の3021試合に主に捕手として出場した。ともに最優秀バッテリー賞を獲得した佐々木主浩(横浜)や川上憲伸(中日)、吉見一起(中日)ら数々の好投手をリードしながら、「いいバッター」の共通点として浮かんだ要素がある。

「常に試行錯誤しながら、微調整しながら日々やっていることです。普通にパッと見ても、みんな、わからない変化がたぶんあると思うんですよね。それを形として作り上げていける人が、いい成績を残している人だと思います」

 捕手が何とか打ち取ろうとリードに頭を悩ませれば、打者はどうにかして打ち返そうと工夫を凝らす。10代の頃からそうした頭脳戦を繰り広げた谷繁氏に、特に「配球が難しかった」と感じた日本人打者を挙げてもらった。

「配球が難しかったバッター@助っ人編」はこちら>>

「アニキ」の愛称で広島や阪神で活躍した金本知憲「アニキ」の愛称で広島や阪神で活躍した金本知憲この記事に関連する写真を見る「まずは前田智徳。ストライクゾーンはすべて打ち返す技術を持っていました」

 1989年ドラフト4位で広島に入団した前田は現役24年間で通算2119安打を放ち、「孤高の天才」と言われた。その類まれな打撃技術について、谷繁氏はこう評する。

「ストレートを狙いながら、変化球の対応も全部できます。前田が調子よかったら10割打つのでは、というイメージなんですよ、僕のなかでは。たとえばインサイドの難しいボールをファウルにして自分の得意なところを待っていくのではなく、そのインサイドの難しいところもヒットにする技術があったと思うんですよね」

 ともにセ・リーグひと筋で何度も対戦を繰り返すなか、どうやって打ち取ろうと考えたのか。

「状態が悪いことを祈りながら(笑)。あとは基本どおりですね。外に低く、インサイドに見せ球をはさんで、もう1回外に戻ってゴロを打たせるか、フライを上げさせる。そのなかで状態のいい時は打ち損じを待つか、勝負を避けるか。とにかく振ってくれるのを願いながら、ボール球を要求したりという感じでした」

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