田中佑美の「もうひとつの顔」 陸上100mハードラーがユニフォーム姿から華麗に変身! (3ページ目)

  • 和田悟志●取材・文 text by Wada Satoshi

【ここで陸上を辞めてしまったら負けてしまう】

 田中が一躍全国区に名を知らしめ、脚光を浴びたのは高校時代のことだ。もっとも、中学時代にも、幼き頃に始めたバレエと陸上競技を両立しつつ、全国大会に出場している。しかし、全日本中学校選手権は予選敗退、ジュニアオリンピックも決勝に進むことができなかった。

 高校に入るとその才能が一気に開花し、1年の秋に日本ユース選手権で2位に入ると、高校2年、3年ではインターハイで連覇を果たした。さらには、世界ユース選手権、U20世界選手権と国際舞台も経験。将来を嘱望されるアスリートになった。

試合ではアスリートの顔になる田中佑美選手 photo by ©Fujitsu試合ではアスリートの顔になる田中佑美選手 photo by ©Fujitsuこの記事に関連する写真を見る── そもそも、バレエをやっていながらも陸上の道に進んだのは、どういう理由からだったのでしょうか。

「実は確固とした意志があったわけではなく、成り行きに近いものがありました。中学時代に部活動に入らなければいけなかったのですが、陸上部は週に2日間のお休みがあったので、それならバレエと両立できると思ったからでした。かなり打算的に陸上競技を選びました(笑)。それで、中学3年間はバレエと陸上のどちらもやっていました。

 中学、高校と、本当に部活動が楽しかったです。中学から高校へは内部進学でしたが、中学の陸上部は部員がたくさんいたのに、高校になるとかなり人数が絞られます。私も、継続するべきか、とても悩みました。

 続けることにしたのは、同級生にライバルがいたからです。その子は陸上でも私生活でも見習うべきところが多くて、私は『その子みたいになりたい』とうっすら思っていました。その子が高校で陸上を続けると聞いて、ここで陸上を辞めてしまったら負けてしまうと思い、その子に負けたくなくて高校でも陸上を続けることにしました」

── 中学時代にも全国大会に出場していますが、高校に入って一気に飛躍を遂げます。楽しかった陸上競技に対して、心の持ちように変化があったのでしょうか。

「いや。高校でも追い詰められることなく陸上をしていました。それは、とても得難い経験だったなと、今でも思っています。

 たしかに中学の時にも全国大会に出場しましたが、当時の大阪府のハードルのレベルはとても高くて、全中(全日本中学校陸上競技選手権大会)に出場するのも珍しくはありませんでした。なので、誰に期待されるわけでもなく、記念出場してさらっと帰ってきました(笑)。

 高校も、強豪校だとインターハイに向けて死に物狂いでがんばると思うんですが、(関大一高は)部員が少なかったですし、インターハイに出場する選手も私以外にはいませんでした。インターハイは、ひとつのがんばるべき試合として捉えていました」

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