「どんな状況でも使う」と言われ続けてオリンピック本番では走れず 髙橋萌木子が明かすロンドン五輪女子4×100mリレーまでの道のりと苦悩 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【責任感の強さゆえのストレス】

 埼玉栄高時代はインターハイ100mで史上初の3連覇を果たし、別の大会では11秒54の高校記録も樹立した。平成国際大に進学した2007年には日本選手権で初優勝をし、8月に行なわれた世界選手権大阪大会では100mに出場し、4×100mリレーでは4走を務めた。

 その翌年の春には同学年の福島が、11秒36の日本タイ記録をマークして北京五輪代表に選出され、それは日本女子短距離にとって起爆剤となったが、髙橋としても殻を破るキッカケになった。

「大学1年までは、自分が(日本で)上になっちゃったことでつらくなり、モチベーションが下がっていました。タイムはさほど上がってないけど、何をやっても勝ってしまうというのが自分のなかで苦しくなっていました。でも4月の織田記念陸上でチー(福島)が11秒36を出したのがすごい衝撃でした。初めて彼女に負けた上に、日本記録のスピードを同じレースで体感して『えっ、こんなに?』と、ダブルパンチを食らって。その衝撃で『これは自分を変えなきゃいけない』と思えるようになって、秋の国体では200mで23秒48の自己新を出してチーに勝てました」

 翌2009年は躍進の年だった。織田記念では追い風2.2mで惜しくも公認にはならなかったものの11秒24で走り、福島に0秒01差の2位。その4日後の静岡国際の200mではまたしても福島に0秒01負けたが、それまでの日本記録23秒33を大きく上回る23秒15を出した。

 さらに6月の布勢スプリントでは100mで自己ベストの11秒32(現在日本歴代3位)を記録し、静岡国際の200mに次いで8月の世界選手権の参加B標準記録を突破。日本選手権で200mは2位だったが、福島が足の痙攣で棄権した100mは11秒34で優勝を果たし、7月のユニバーシアードでは日本女子短距離初となる銀メダルを獲得。

 世界選手権では福島とともに個人2種目を走り、上位記録2回の合計で世界ランキング16位以内という条件を突破した4×100mリレーも自力で出場権を獲得した。

「織田記念の記録が公認だったらまた違ったかもしれないけど、(11秒)2台を連発して『ここまできたか』という感じで。そのあとも200mで自己新が出たから、4継をやれば日本記録も必ず出るだろうと思い、どうやって自分の走りに徹するかしか考えていませんでした。ただ、世界選手権の4継は、みんな戦い方を知らないので思い切り空気に飲まれていて。出ることだけが目標みたいな状況でした。北京五輪の年まで11歳上の石田智子さんや信岡沙希重さんが自分たちの経験を言葉で伝えてくれたり、背中で見せてくれていたけど、北京が終わってからは世代交代のような形になって、世界選手権は個人種目もあってリレー練習だけに特化できませんでした。私たちが年下だからうまく言えないこともあって、チームとしてのコミュニケーションが取れない状況があったんですよね」

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