日本男子マラソンが「勝負レース」で勝てないのはなぜか ペースメーカーなしのレースを増やすことが必要だ (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by  KIshimoto Tsutomu

 最近の国内のエリートレースのほぼすべてで、ペースメーカーを設定していて30km付近まで引っ張ってくれるため、選手たちの意識は「30kmまでは力を使わずにラクに行き、それ以降の勝負に備える」となっている。そのレース展開に慣れてしまったことで、今回の川内の飛び出しにどう対応していいのかわからない選手が多かったようだ。

 今回も川内が14分台で走っていた10kmまでは、集団を引っ張る選手も数人いて5kmを15分01秒で走っていた。だが、その選手がペースを迷い始めると集団も15分10秒台後半、20秒台後半と、どんどんペースが落ちていって差が開いた。

 そんな固定観念のようなものを崩されて対応できなかったレースといえば、10月5日に中国の杭州で行なわれた、アジア大会の男子マラソンもそうだった。日本代表として、ともにMGC出場権を獲得していた定方俊樹(三菱重工)と池田燿平(Kao)が出場した。

 持ちタイムは池田が2時間06分53秒で、定方が2時間07分05秒と、出場選手のなかでは、シュミ・デチャサ(バーレーン)に次ぐ2番手と3番手だった。だが、2時間7分台後半の持ちタイムを持つホ・ジエとヤン・シャオフィ(ともに中国)、2時間11分台のハン・イルヨン(北朝鮮)に力負けし、12大会ぶりに日本勢はメダルを逃した。

 ペースのアップダウンが激しいレースで暑さもあるなか、最初の5kmを15分57秒で入り、10kmからシュミが15分06秒にスピードを上げて揺さぶりをかけた。その後は15分50秒台に落とし、25kmからの5kmはさらに16分33秒まで落とした。

 35kmからはホとハンがいきなり5kmを14分58秒まで上げるスパートをかけ、2時間13分02秒でホが優勝した。ホの走りに関して言えば、最後の2.195kmも6分30秒でカバーする、力技といえるレースだった。

 最初の仕掛けで、少し遅れた池田は「あそこであんなに(ペースが)上がるとは思っていなかったです。そのままついていってもいいと思ったけど、気持ちがちょっと引いてしまって結果的に自分が追う形になり、そこで少し力を使ってしまいました。冷静に行こうと思っていたのですが、序盤でペースを変動する選手がいたことで、知らず知らずのうちに力を使っていた部分もありました」と振り返る。

 結局、「落ちついてラスト勝負に備えたい」と考えていた35km過ぎの仕掛けにも対応できず、ラスト3kmは足が止まって6位という結果になった。

 32km過ぎでトップ集団からおくれながらも、終盤に再び前に出て4位になった定方も、「思った以上に(ペースが)ゆっくり行ったり急に上がったりと、初めての経験でした。今まではタイムを狙うマラソンばかりで、こういう勝負だけを狙うマラソンを初めて経験して、本番(五輪や世界選手権などの勝負を争うレース)はこういうことになるんだろうなというのをすごく感じました」と話していた。

 このレース展開を見てから今回のMGCを振り返ると、見どころの多い展開になったとはいえ、先行する川内を後続が追いかけ出したのは29km過ぎと、ペースメーカーがいるレースとそれほど変わらない。

 かつてのマラソン選手たちは、"勝つための戦略"をみんなが考え抜いていた。「瀬古利彦の強烈なラストスパートに勝つためにはどうすればいいか」というのを、宗茂猛兄弟や中山竹通は考えて自分のスタイルを追求していた。

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