車いすテニスの新時代を紡ぐ17歳 小田凱人が全仏を制しグランドスラム初優勝「自分がさらに大きいスポーツにしていきたい」 (2ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu
  • 植原義晴●写真 photo by Uehara Yoshiharu

 第2セットは互いにブレークする展開に。第4ゲームは5度のジュースから追いつき、最後は145キロのサーブでヒューエットのレシーブミスを誘った。そのあとは小田のダブルフォルトなどでポイントを失い4セットオールとされるが、最後は"苦手"から強化を経て"武器"になりつつあるバックハンドショットやサーブでヒューエットの体勢を崩し、勝ちきった。

 圧巻だったのは、最後までゲームの主導権を握り続けたことだ。「1セット目を取っても、次が大事だからと言い聞かせていた。決勝でそれを実現できたのはかなり自信になった」と小田は振り返る。1年前の4月にプロ選手として活動していくことを宣言してから苦楽をともにしてきた熊田浩也コーチからは「本当によくやった」と声をかけられたといい、「専任になったのは去年からだけど、その前からずっと(練習拠点の岐阜インターナショナルテニスクラブで)教えてもらっていた。二人三脚で成長してきたから、本当にうれしいです」と笑顔を見せた。

【病気と闘う子どもたちのヒーローになる】

 サッカーに夢中になっていた9歳のときに左股関節に骨肉腫が見つかり、人口関節を入れる手術を受けた。2012年ロンドンパラリンピックで金メダルを獲得した国枝氏のプレーを見て、車いすテニスを始めると、めきめきと頭角を現した。この頃から、13歳8カ月25日で世界ジュニアマスターズの単複で優勝、14歳11カ月18日で世界ジュニアランキング1位など、「最年少記録」を多々塗り替えてきた。シニアに転向後も、16歳23日でグランドスラム(昨年の全仏)出場、16歳5カ月29日で世界マスターズの単優勝など、より高いレベルに居続ける。

 そして、今大会で最年少世界ランキング1位を達成した小田にはもうひとつ、「病気と闘う子どもたちのヒーローになる」という目標がある。優勝記者会見で小田は、こう語っている。

「病気をすることをマイナスに感じる人ももちろんいるし、僕も何度もそう思った。ただ、車いすテニスをしていればそれを感じない。僕は(競技に出会えて)ラッキーだったと思う。だからこそ、同じ骨肉腫にかかった少年少女たちには、『病気はそんなに悪いことじゃないよ』と、プレーや発言をとおして伝えていきたい。何かひとつできるようになれば、それは武器に変わるから。今回の僕のグランドスラムでの優勝を見た人に、何か届けばうれしい」

 優勝後のオンコートインタビューでも「自分がさらに車いすテニスを大きいスポーツにしていきたい」と話していた小田。国枝氏をはじめ、先人たちが切り拓いてきた車いすテニスの歴史のバトンを、17歳の若きエースがしっかりと受け止め、引き継いでいく。

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