太ももの周りは65cmレッグプレスで500kg 小林優香はバレーから自転車へ転向 五輪の夢と強靭な肉体を手に入れた (3ページ目)

  • 加藤康博●文 text by Kato Yasuhiro
  • 石川高央●撮影 photo by Ishikawa Takao

【悔しかった五輪、そしてケガ】

 自転車競技で日本人史上初の偉業を重ね、2021年、東京五輪という夢にまで見た舞台に立った。だがトラック女子ケイリンでは準々決勝で敗退。女子スプリントでは予選の200mタイムトライアルで10秒711の日本新をマークしたものの、1対1で争う本戦の1回戦で敗れ、敗者復活戦でも敗退。目標としていた金メダルには届かなかった。

「オリンピックが延期した時は気落ちしましたし、心身のバランスを取るのが難しかったです。しかし1年後の大会は、自転車競技については有観客で行なわれ、たくさんの声援のなかで走ることができました。"これが母国でのオリンピックなのか"というものを感じさせていただけたと思います。結果には満足していませんし、表彰式は悔しい思いで見ましたが、最後は感謝の気持ちでオリンピックを締めくくれました」

 オリンピックは東京までと決めていたが、その後、パリへのチャレンジを表明。しかし2022年5月、カナダ・ミルトンで行なわれたUCIトラックネーションズカップ第2戦の女子ケイリン決勝で落車してしまう。

「いいマインドで臨めていて、予選も準決勝も1位。決勝も絶対に勝てる位置取りだったなかで落車して、腰と背中を痛めてしまいました。その後もレースが決まっていたので連戦をしていましたが、最終的に動けなくなってしまい、病院で検査したら3カ所の疲労骨折が見つかったんです。

 そこからは1ヶ月、寝たきりの生活でした。競技を始めて以来、こんなに自転車に乗れなかったことは初めてでした。もうナショナルチームで負荷の高いトレーニングをするのは限界かもしれない。決めるなら早いほうがいいと自転車競技を引退し、ガールズケイリンに絞ることを決めました」

 悔しさはあった。だがナショナルチームのコーチだったブノワ・べトゥの口癖、"Life is beautiful"の言葉が背中を押した。人生はいつだって美しい――。これまで経験した挫折や悔しさも、そのすべてが美しく思えた。そして決意を新たにする。"競輪で日本一を目指す。勝ち続ける"。これが直近の小林の決断であり、覚悟だ。

「ナショナルチームで競技を継続していればもっと活躍できたかもしれないし、できなかったかもしれない。でも自分の決断が正しかったかどうかは、これからの自分が決めることだと思っています。

(今シーズンから)ガールズケイリンにGIができましたので、今はそこで名前を刻みたいというのが目標で、何度でも日本一になりたいと思っています。自分はまだまだ強くありません。強さを求め続け、そしてこれからは人間としても尊敬してもらえるように。若い選手のお手本となる選手を目指します」

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