宮原知子が子どもたちにスケート指南 目を輝かせる少女に見た原点と未来 (2ページ目)

  • 小宮良之●取材・文 text by Komiya Yoshiyuki

【"見てほしい"宮原知子の原点】

 宮原が初めてリンクに立ったのは4歳の時で、まさに目の前にいる子どもたちと同じ年頃だった。

ーー目をつむって、そこに映し出される初めてのスケートの光景を思い出してください。

 そのリクエストに、彼女はこう答えていた。

「自分のなかでは一歩目を滑れた時、その感触がよかったのは覚えています。でも初めて滑った時より、貸し靴ではなく自分の靴を履いた時にワクワクしていましたね。言葉で言い表すのは難しいんですが、小さくジャンプする、気持ちが弾む感じで。水色の衣装を着ていたと思いますけど、"自分がスケートしている!"というのがすごく楽しかったんです」

 体験会、リンクに入った子どもたちは最初、手すりに捕まって足踏みするのがやっとだった。しかし10分、20分と経過するうちに、片手を離し、両手を離し、氷の上で立つことができるようになり、両手を水平に広げ、足をハの字に、そして膝を曲げ、恐る恐るながら足踏みできるようになる。腰から落ちても体重が軽いだけに痛みは少なく、何度でもトライできる。子どもの飲み込みは早い。

「ゆっくり」

 宮原が小さな体をさらにかがめ、子どもたちと同じ視線になって、そう励ました。前に進んでいたはずが、力んで転んでしまい、慣れないスケート靴で起き上がれなくなる女の子もいたが、宮原は同じように氷に膝をついて優しく声をかけ、起き上がるコツを指南した。すると、女の子はどうにか立ち上がって、再び、氷を踏んだ。

「初めてのスケート靴は、白い靴でした。(両親に対して)『貸し靴じゃ嫌だから買って』ってせがんだらしいんですけど(笑)」

 宮原は以前のインタビューでそう明かしていた。

「あまり記憶にないんですが、一度滑ってから、すぐにほしがったみたいです。初めて氷の上に乗ってから、数カ月とかで『スケート教室も始めるからほしい!』ってせがんだみたいで。だから、自分の場合は靴を手に入れてうれしかったんだと思います。

 最初は、これだけ滑れるんだっていうのが単純にうれしくて。"できるようになったんだよ"というのを見せたくて、ずっと滑っていたのかなって思いますね。自分から進んで、『ちょっとこれできるから見て!』と伝えに行ったりはしなかったんですけど、心のなかでは"ちょっと見てくれないかな、見てくれたらうれしいな"って(笑)」

 奥ゆかしさが彼女らしい。

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