天龍源一郎、柴田勝頼との激闘後に謎のひと言 ケンコバが真相を本人に探るも「聞き取れなかった」

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji

ケンドーコバヤシ

令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(11) 後編

(中編:天龍源一郎が「あん時の男か」 柴田勝頼に勝利した試合中のサムズアップ>>)

 ケンドーコバヤシさんが振り返る、2004年11月13日に大阪ドームで行なわれた天龍源一郎と柴田勝頼の一戦。その試合で天龍が何度も繰り出した必殺技、「53歳」にまつわる謎について語った。

当時、54歳の天龍(左)と24歳の柴田が激闘を繰り広げたphoto by 山内猛当時、54歳の天龍(左)と24歳の柴田が激闘を繰り広げたphoto by 山内猛この記事に関連する写真を見る

【「あれは51歳だ」】

――この一戦に残る、最後の「謎」について教えてください。

「それは、先ほど(中編)も話した、天龍さんが柴田選手をエプロンから場外に落とした必殺技『53歳』についてです。

 柴田選手はその技を受けて大ダメージを負い、その後に天龍さんがパンチからフォール勝ちするフィニッシュへつながりました。当時24歳の柴田選手は、棚橋弘至選手、中邑真輔選手と3人で『新闘魂三銃士』として会社から売り出されていたんですが、この試合でアゴを骨折して長期欠場に追い込まれた。結果として『新闘魂三銃士』はバラバラになり、自然消滅してしまいました。

 柴田選手にとっても新日本プロレスにとっても大きな痛手となったエプロンからの53歳だったわけですが、後日、プロレスの専門誌にこの試合についての天龍さんのインタビューが載っていて。そこで謎の発言をしていたんです」

――どんな発言だったんですか?

「記者の方からの『あの時、どういう気持ちで柴田選手に53歳を打ったんですか?』という質問に、天龍さんは『あれは51歳だ』と答えていたんです」

――えっ⁉ あの技は53歳じゃなかったんですか?

「そうなんです。あのエプロンからの荒技は『51歳』という新たな必殺技だったそうなんですよ。ただ、なぜ53歳ではなく51歳なのか......その理由について、天龍さんは現在に至るまで口にしていないんです」

――どうして2歳若い「51歳」になったのか......確かにこれは謎ですね。

「これは俺の個人的な推理なんですが......リング場外の床から、柴田選手が投げられたトップロープまでの高さが2mくらいだと思うので、53歳からその2mを引いて51歳になったという説。ただ、高さだったら足さないといけないとも思うんですよね。

 もうひとつは、54歳だった天龍さんが柴田選手の闘いっぷりを認めて、『フレッシュな試合ができて気持ちよかった。今の若いヤツでもあんな男がいるのか。俺も若返った』といった気持ちになったのか。ただ、それでもなぜ51歳になったのかの答えにはなっていない。俺も考えを巡らせてこれらの説を唱えてはいるんですが......真相は藪の中ですね」

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