武藤敬司の全日本移籍時、新日本の社長だった藤波辰爾が明かす「驚きはなかった」本音。プロレス愛を貫いた「天才」の引退にメッセージを贈った (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 東京スポーツ/アフロ

【武藤の移籍に「驚かなかった」理由】

 武藤が全日本へと移籍した当時、新日本の社長だったのが藤波だった。あれから21年を経て、こう振り返る。

「(当時、新日本の会長だった)坂口征二さんは、武藤が結婚した時に仲人を務めたくらい目をかけていたから、武藤が辞めた時は"縁を切られた"という感じで怒っていました。だけど、僕は坂口さんほどの怒りはなかったです」

 それは、新日本には長州力や前田日明ら、スター選手が何人も離脱した歴史があったからだった。

「新日本は長州や前田など、何人も辞めた選手がいたから、変な話ですが僕には免疫があったんです。しかも武藤は、性格的に自由を求める部分があることを僕はわかっていたから、彼が離脱することにそれほどの驚きはなかったですね」

 ただ、新日本は2000年秋に橋本真也が離脱し、続いて武藤が全日本へ移籍したことで、1990年代を支えた「闘魂三銃士」のふたりを失ったことになる。興行的には大打撃を受けただろうが、社長として複雑な思いはなかったのだろうか。

「確かに社長として責任を感じました。ただ、繰り返しになりますが、過去に多くのレスラーたちが辞めた歴史があるから、『プロレス界は常にこういうことがある』と腹を括っていたところがありました」

 しかも武藤は、全日本への移籍の際に小島聡、ケンドー・カシンらスター選手だけでなく、複数のフロント社員も引き抜く形で離脱した。その中には経理部門の幹部もおり、新日本は会社の生命線である"金庫番"を持っていかれたのだ。それでも藤波は、選手だけでなく複数の社員が退社したことも冷静に受け止めていた。

「経理担当の社員には、『新日本を株式上場したい』という夢があったんです。その目標に向かって、僕とも何度も話し合いを重ねて、一時はいい方向になっていた。ところが土壇場でその目標は白紙になってしまい、新日本でのやりがいを失ってしまったんです。ですから、辞める時は慰留しましたが、『やむを得ない』と受け止めていました」

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