新日本とUインターの対抗戦で、武藤敬司が髙田延彦に繰り出したドラゴンスクリュー。それを見た藤波辰爾は「技の入り方が違う」 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

【「俺のドラゴンスクリューよりがきれいじゃないか」】

「ドラゴン」の名がついたこの技は、藤波のオリジナル技だった。この対抗戦が行なわれた当時の藤波は、新日本内部で自らが理想とする「古き良き時代のプロレスの復活」をコンセプトとした独立組織「無我」の旗揚げ戦が迫っていたため、Uインターとの対抗戦からは距離を置いていた。

 ただ、武藤が髙田を破った一戦は鮮明に記憶しており、ドラゴンスクリューが決まった場面も目に焼きついているという。そして、武藤が自身のオリジナル技を"盗んだ"ことへの思いをこう明かした。

「『俺の技じゃないか』と思うことはありましたけど、まったく悪い気はしませんでした。おそらくアントニオ猪木さんも、自分の必殺技のコブラツイストを他のレスラーが出したとしても、『この野郎、俺の技をやりやがって』なんて思わなかったはず。あの頃は、僕もドラゴンスクリューを頻繁に使っていたわけではなかったから、武藤が髙田戦で出してくれたおかげで、あの技が光を浴びることになってよかったと思います」

 さらに藤波は、技の完成度についても言及した。

「武藤は、ずっと柔道をやってきた身のこなしがあるから、投げ技は誰よりもきれいでした。だからドラゴンスクリューも美しく見えましたよ。それは、武藤本人にも言ったことがあるんです。『俺のドラゴンスクリューより、お前のほうがきれいじゃないか』って(笑)」

 藤波がこの技を習得したのは1978年1月23日。ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでWWWF(現WWE)ジュニアヘビー級王座を奪取する直前だった。フロリダ州タンパに住むカール・ゴッチの自宅での特訓で、ゴッチから伝授されたものだという。

「この技は、アマチュアレスリングの技のひとつなんです。タックルで相手の足を掴んで股にはさみ、回転しながら投げる。ゴッチさんからはそう教わりました」

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