エリート街道じゃないバスケ日本代表・原修太 社会貢献と「40歳まで千葉で」の思い (4ページ目)

  • 取材・文●永塚和志 text by Nagatsuka Kaz
  • 写真●村上庄吾 photo by Murakami Shogo

【千葉で40歳まで】

――2020年に潰瘍性大腸炎に罹患していたことを公表されました(2018年に診断を受け入院。現在は寛解)。改めて、病気になったことはキャリアにどのような影響を与えましたか?

「病気に関しても人生の転機で、1カ月間、病院にいて何もできなかったので、バスケができることは当たり前じゃないと思いましたし、その時のことを考えたらどんなこともつらくないなと。今も、ちょっと落ち込んだりすることはあるかもしれないですけど、病気の前と比べて絶対的にポジティブになりました。

 社会貢献の大切さは、プロに入ってからフロントスタッフの方から言われてはいたのに、行動に移せていなかったのですが、自分が病気になって同じ病気の人や、入院しながら長期療養していける子どもたちのための社会貢献という形で行動に移すことができるようになりました」

――潰瘍性大腸炎は国が定めた難病指定ですが、啓蒙しようと考えたのは世の中にこの病気のことを知ってもらおうという気持ちがあったからですか?

「そうです。僕が病気を患った時に、調べたらオリックス(バファローズ)の安達了一選手が潰瘍性大腸炎にかかっていて、それで勇気をもらえたので、いずれ僕も同じようにほかの人に勇気を与えたいと思っています。

――現在、30歳ですが、今後のキャリアについてはどのように青写真を描いていますか?

「千葉(ジェッツ)で長く、目標は40歳まで戦力としてプレーできたら幸せだなと思っています。今、西村文男選手や荒尾岳選手を見ていて、ふたりとも出場時間が短くても、出ている時間帯は明らかに戦力となっているのが、めちゃくちゃかっこいいなと思っているんです。僕は今、25分とか30分出ていますけど、それが減ってきたとしても『この時間帯は原が必要だ』と思ってもらえるような選手でいたいですし、40歳までそうあり続けたいと思っています。

 まだ慣れていませんけど、オフコートでも、ベテランらしく後輩を指導したり、そういう立場としてやっていきたいです」

――「千葉で」40歳まで、なんですね。

「希望は(笑)。ちゃんと評価していただいているので、地元ですし、千葉に残りたい気持ちはあります。ただ、未来のことは分かりませんので日々、頑張るだけです」

――目下のところは今シーズンの残りをどう戦うかですよね。

「Bリーグ優勝はまだ1回。特に昨シーズンは公式戦で史上最高勝率を上げて、自信はあったのに、もちろん(チャンピオンシップ・ファイナルで対戦した)琉球さんは強かったんですけど、敗れた。今シーズンは序盤で苦労した分、まずは上位8チームに入ってちゃんとチャンピオンシップに出場して、そこから快進撃をして、優勝したいと思っています」

【Profile】原修太(はら・しゅうた)/1993年12月17日生まれ、千葉県出身。市立習志野高→国士舘大→千葉ジェッツ。身長187cm、体重97kg。高校までは全国大会で目立った活躍はなかったが、大学入学後から徐々に才能を開花しシューターとして活躍。大学卒業後に当時、NBLの千葉ジェッツに入団すると、プロ2年目、Bリーグ開幕の2016-17シーズンから徐々に出場機会を増やし、3年目からはチームの主力に定着。これまでBリーグ優勝1回、天皇杯優勝4回を経験。2022-23シーズンはリーグのベストディフェンダー賞、ベスト5にも選出され、2023年夏のワールドカップでは日本代表としてパリ五輪出場権獲得に貢献した。愛称は「ハラーニ」。

プロフィール

  • 永塚和志

    永塚和志 (ながつか・かずし)

    スポーツライター。前英字紙ジャパンタイムズスポーツ記者。Bリーグ、男女日本代表を主にカバーし、2006年世界選手権、2019W杯等国際大会、また米NCAAトーナメントも取材。他競技ではWBCやNFLスーパーボウル等の国際大会の取材経験もある。著書に「''近代フットボールの父'' チャック・ミルズが紡いだ糸」(ベースボール・マガジン社)があり、東京五輪で日本女子バスケ代表を銀メダルに導いたトム・ホーバスHC著「ウイニングメンタリティー コーチングとは信じること」、川崎ブレイブサンダース・篠山竜青選手 著「日々、努力。」(ともにベースボール・マガジン社)等の取材構成にも関わっている。

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