ジョシュ・ホーキンソンが日本で成功できた要因とは? 修士の学位を持つ勉強家の努力 (2ページ目)
── アメリカと日本の距離は気にならなかったですか?
「日本へ来たこともなければ、日本のバスケットボールについて何も知らなかった。とはいえ、シアトルと日本は飛行機で9時間ほどしか離れていないし、アメリカにいる頃から両親のどちらかが日本人という知人が周りにいたから、日本文化をまったく知らないわけではなかった。
イチロー選手の影響もあったしね(2001年〜2012年、2018年〜2019年にMLBシアトル・マリナーズに所属。ホーキンソンは高校まで野球もプレーしていてイチローの大ファン)。シアトル周辺に住んでいるとイチローさんのことを知らない人などいない。彼は英雄だったから」
── 高校時代はワシントン州立大以外の大学からも勧誘があったのですか?
「うん。ほとんどは西海岸の大学から。僕の夢は西海岸で最も強くて大きい『パック12カンファレンス』(NCAAの5大主要リーグのひとつ)の大学でプレーすることだった。
実は子どもの頃から、自分の母も通っていたワシントン大のファンだったんだ。毎夏ワシントン地域のトップ選手が呼ばれるエリートキャンプがワシントン大であって、僕もそこに参加していたし。実際、ワシントン大のコーチ陣の前でいつもいいプレーができていた。
だから本当は、奨学金をもらってワシントン大へ行きたかった。だけど結局、奨学金のオファーはもらえなくてね。だからワシントン州立大へ行って、ワシントン大との対戦時はいつも以上のモチベーションでプレーしていたよ(笑)」
── ワシントン州立大では3年間で学位を、そしてその後は大学院へ進んで修士も取得しています。プロアスリートで修士まで持っている例は、あまり聞いたことがありません。
「僕の両親はいつも勉強の大切さを僕に説いてくれたし、学校でバスケットボールをプレーするにしても、勉強こそがまずは第一なのだと言っていた。
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