「パスは未来へ出せ」。ベンゲルは低迷するグランパスの選手に言った (2ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

 そして最後の問題は、絶対的な存在であるストイコビッチにあった。

「ピクシーが自分のメンタルをまるでコントロールできなかったことは、ベンゲルにとっても大きな誤算だったんじゃないかと思います」

 尊敬する監督が着任してモチベーションに火がついたのだろう。ストイコビッチのコンディションは、前年に比べて大きく改善されていた。「ランニングでは先頭に立って走るようになったし、練習場にも早く来るようになったからね」と小倉隆史は苦笑する。

 だが、Jリーグのレフェリングとの相性は依然として悪く、とりわけ外国人レフェリーには目の敵にされていた。また、勝てないチームや、プレー意図を理解してくれないチームメイトに対してもストレスを抱えていたのだ。

 ガンバとの開幕戦で退場し、3試合の出場停止が課せられたストイコビッチは、復帰戦となった第5節のベルマーレ戦でもオフサイドの判定に怒りを爆発させ、相手選手に向かってボールを蹴って一発退場を宣告された。ストイコビッチは序盤の8試合中、わずか3試合にしか出場できなかったのである。

 さらに補足すれば、当時のJリーグは水曜日と土曜日に試合が行なわれるハードスケジュールだった。それゆえ、試合と試合のインターバルはコンディション調整に割かれ、戦術を磨く余裕がなかった。

 新監督を迎え、「今季こそは」と意気込んだ新シーズンの序盤に、前年以上の低迷を余儀なくされたのだから、選手たちが「またか」と意気消沈してもおかしくない。だが、平野孝から見ると、このときチームを支配していたのはネガティブな雰囲気ではなかったという。

当時のチームの雰囲気について語る平野孝 photo by Tanaka Wataru当時のチームの雰囲気について語る平野孝 photo by Tanaka Wataru

「結果が出ていなかったので不安はありましたよ。でも、自分のやるべきことは整理されていたし、チームが目指すサッカーも見えていたので、ほんのちょっとの修正、何かきっかけがあれば浮上できるんじゃないか、と思っていました。全然ダメっていう感じではなかったです」

 平野は続けて、あるエピソードを明かした。

「退場処分を受けたピクシーをベンゲルが監督室に呼んで、そのあとケジメとして僕らの前で謝らせたんです。謝罪の言葉があるかないかで、僕らの気持ちもずいぶん違うし、ピクシーのことをリスペクトしながらコントロールするベンゲルはすごいなって思いました」

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