中村憲剛と佐藤寿人が感じた日本代表のもろさ「前線、中盤、最終ラインの思惑が少しずつズレていた」 (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

 日本は去年、9連勝しましたけど、そのような戦い方をしてくる相手はひとつもなかったと記憶しています。親善試合ではどの国も自分たちが目指すサッカーをしてくるので、当然、そこまで徹底してくるチームはないと思います。その意味では組みやすい相手ばかりだったなと。

 アジアカップで対戦したような国とはやってこなかったわけで、そういうチームに対する耐性が少し足りなかった。これはしょうがない気はします。アジアにおける日本と世界における日本の立ち位置が、あまりにも違いすぎるので。

寿人 憲剛くんの言うとおりだと思います。やっぱり森保さんのサッカーって、いい守備をして、特に中盤で奪いどころを作って、出ていくっていうやり方じゃないですか。でもシンプルに蹴られると、奪いたい場所で奪うことができない。じゃあ、うしろで跳ね返すパワーが特別あるかっていうと、そうでもない。その意味では、そういう相手に対する戦い方の引き出しは少なかったですよね。

 自分たちのスタイルっていうのは去年1年間である程度見えてきましたけど、対戦相手に応じた別のやり方というものがないなかで、大会が始まってしまった。ただ、イラクにあの形で敗れていたわけで、イラン戦までに修正策を用意する時間はあったと思うんですよ。でも結果的に、イランにも同じような形で負けてしまった。そこに対する批判は当然出てきますよね。

憲剛 「いい守備からいい攻撃」というコンセプトが成り立たなくなった時に、どうするかっていうことだよね。

寿人 そうです。それができなくなった時に「じゃあどうするの?」っていうのは足りなかったなと思いますね。

憲剛 蹴らせないというのはあるけれど、すべてを防ぐことは不可能なので、たとえば逆に、前から行かない戦い方も引き出しのひとつとして持っておく。あえてボールを持たせるとか。

 ただ、うしろで構えたら構えたで、より自陣のゴール近くにボールが飛んでくるので、それはそれでリスクになる。それならば、各々の役割がより明確になる5バックにする、とか。だけど、アジアのチームに対して5バックにする必要があるのか、とか。

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