柳沢敦の「急にボールが来た」発言の真相を加地亮が明かす ドイツW杯については「ヒデさんのチームにしたほうがよかった」【2023年人気記事】 (4ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by Hitoshi Mochizuki/AFLO

 クロアチア戦は0-0の引き分けに終わった。日本はいよいよ土壇場に追い込まれた。グループリーグを突破するには、最終戦のブラジル戦で2点差以上の勝利が必要になった。

 そうした状況に絶望感を抱いたのか、チームは選手個々の鬱積した不満があふれ出し、さらにまとまりを欠いていった。紅白戦ではサブメンバーがレギュラーメンバーに対してファールすれすれの激しいチャージをするなど、ピッチ上はギスギスした空気が流れていた。

 最悪のチーム状態のなか、加地は見て見ぬふりをして、意見すらしなかったことに後悔の念を抱いたという。

「サッカー人生最大の後悔が、この時です。みんな、自己主張というか、言いたいことを言うだけで、チームとしてまとまらなかった。その時、自分も意見して、どうすれば全体がまとまるのか、発言すればよかった。でも、言えなかった」

 なぜ、加地は意見を言えなかったのか。

「自分は若かったし、自分が意見を言ったところで弾かれる。ヒデさんやツネさんたちの話し合いを聞いていて、『ここで自分が何か言っても無理やな』って勝手に解釈していたんです。

 でも、何も言わずにいるのは、チームのために何もしていないのと一緒で、めちゃくちゃ後悔した。W杯に来て、こんな経験は二度としたくない。この先は、きちんと自分の意見を言おう。これが、W杯で得た大きな教訓になりました」

 最後のブラジル戦は玉田圭司が先制点を挙げるも、個人としても、チームとしてもどうしようもない差を感じた。ドイツW杯、日本は1分2敗でグループリーグ敗退となった。

「あっさりと大会が終わって、『儚いなぁ』と思いました。期待値が高かっただけに、応援してくれた人たちに申し訳ない気持でいっぱいだった。こういう悔しさは、Jリーグでも、人生でも経験したことがなかった。悔しさと後悔しかない大会だった」

 加地にとって初めての、そして最後のW杯は、悔しさにまみれて終わった。

(つづく/文中敬称略)加地亮、最も脂の乗っていた時期になぜ代表引退を決めたのか>>

加地 亮(かじ・あきら)
1980年1月13日生まれ。兵庫県出身。滝川第二高卒業後、セレッソ大阪入り。以降、大分トリニータ、FC東京、ガンバ大阪、チーヴァスUSA、ファジアーノ岡山でプレー。1999年ワールドユースで準優勝を果たした「黄金世代」のひとり。その後、日本代表でも活躍し、2006年ドイツW杯に出場した。国際Aマッチ出場64試合、2得点。

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