久保建英の交代でイラン戦後半は「攻撃こそ防御なり」を喪失 レアル・ソシエダは早期復帰を歓迎 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

【チームが破綻するなかで...】

 久保は何とか周りと調和しようとしていた。例えば左サイドの前田大然は、近い距離でプレーできず、前に突っ込みすぎていたが、そのよさを生かすために空いたスペースに入って、上田に決定的なクロスを配給する場面もあった。

「連係力」

 そこにラ・レアルで久保の最大の才能と評価される部分が出ていた。

 後半7分には前田が敵陣で相手ボールを引っ掛け、上田、守田と渡って、それを受けた久保がゴールに迫り、右足で放ったシュートは枠を大きく外れている。後半19分には上田がボールを収め、落としたところで守田がラインを破るパスを入れ、それを受けた久保のラストパスは惜しくも通らなかった。しかし得点の予感はあり、相手に脅威を与える「攻撃こそ防御なり」にはなっていた。

 だが後半22分、森保一監督はあっさり久保を引っ込めてしまう。

 その後の日本はろくにチャンスを作り出せていない。チームとしての戦術的不具合を選手がカバーできなくなって、イランの選手の強度に呆気なく後手に回った。攻撃に転じられなくなったことで、ディフェンスラインは高さやパワーに押されていった。CKやFKなどをいくつも与えて、アクシデントが起こる可能性は必中に近づいていた。

 アディショナルタイムでの失点は、ひとりのミスというよりはチーム全体の不具合が露呈した格好だろう。交代策は遅れていたし、「板倉滉はイエローを受け、裏を狙われていたから下げるべきだった」というのは正論だが、それ以前に、もっと本質的にチームとして破綻していたのだ。

 そもそも、カタールワールドカップで攻撃のタクトをピッチで振っていたのは鎌田大地だった。鎌田が中盤と前線とサイドを結びつけ、形にしていた。彼ができるだけボールを捨てず、握ることをチームに提唱しなかったら、惨憺たる結果になっていた可能性もある。

 今回のアジアカップで、久保はその役目を任されたと言える。しかし、久保は鎌田よりも、ゴールに近いゾーンで最大限の力を発揮するタイプである。下がって受け、プレーメイクもできるが、それはあくまでラ・レアルのようにチーム戦術が確立している場合であり、それでもゴールに近いところでの仕事を任されている。

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