近鉄最後の優勝戦士、北川博敏と交代して代打逆転サヨナラ満塁ホームランを見届けた男の今 古久保健二は日本→韓国→台湾で指導者になった (3ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi

【30歳を過ぎた頃に心境の変化】

 現在、59歳。野球を通じて、世の理不尽を体に叩き込まれた世代だ。同世代の指導者の何人かは、その「昭和のノリ」を捨てきれないなか、古久保は現役時代から頭を切り替えていたという。

「30歳を過ぎてからですかね。そういう年齢になってきて、次(引退後)を考えていたわけではないですけど、チームでも立場が変わってきたんです。それまでは自分のことだけを一生懸命やらなければならないという感じでしたけど、だんだん周りが見えてくるんです。そこからいろいろ考え出しましたね」

 近鉄は、伝統的に捕手併用制を採用してきた。古久保が入団した時には、梨田と有田修三のライバル関係があった。そして古久保が主力となった頃は、山下和彦、光山英和らと熾烈な正捕手争いを繰り広げた。

「いま、この立場になって併用もありかなと思います。やっぱりキャッチャーはリフレッシュする時間が必要ですから。ただ現役の時はずっと試合に出たいと。だから当時は、ベンチでは話をするけど、プライベートはまったく別でした。アドバイスなんかもちろんしない。今の選手はするらしいけど、それも僕の感覚だと、その選手には負けていないという自負があるからじゃないですかね」

 そんなヒリヒリした毎日を送るなかでも、30歳を過ぎた頃から心境に変化が出てきたという。出番は年々減っていったが、チームがどうすればいい方向に進むのかを優先して考えるようになった結果、現役最後の2シーズンは出場機会を増やしていった。その経験は、指導者となった今に生きていると古久保は語る。

 自ら「無頓着」と表現するが、自分よりひと回り以上も若い監督ともコミュニケーションを重視する。

「今の球団(楽天モンキーズ)が僕にどうして声をかけたのかは知りません。球団が何人かリストアップして、自分が動きやすいスタッフを選んだのかもしれません。監督はみんなの意見を聞くタイプなので、僕も言うべきことは言います。練習のやり方については、ちょっと違うなと思うところはありますが、そこは台湾スタイルに従います。日本だと練習の段階でかなり細くやりますが、それはスタッフの数も多いし、涼しいドーム球場だからできること。暑い台湾で日本みたいにはできないし、その必要もないと思います。文化や環境が日本と違うんだから、そこは台湾スタイルに合わせています」

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