阪神・関本賢太郎が思い出したくない「33-4」の日本シリーズの記憶 ロッテホームは「威圧的だった」 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Kyodo News

――大差で連敗してしまった要因を挙げるとすれば?

関本 あらためてになりますけど、リーグ優勝を決めてから日本シリーズを迎えるまで3週間程度の期間がありました。その期間にフェニックス・リーグに参加するなどして調整したとはいえ、シリーズ特有の最高潮の緊張感と、プレーオフで勝ち上がってきたロッテの最高潮の勢いを止めることができなかった。そういう2試合だったかなと。ベンチに居ながら感じていたマリンスタジアム全体の雰囲気は威圧的でしたし、ロッテはどんどん勢いづいていきました。

――第2戦までを終え、首脳陣や選手間でのミーティングなどはありましたか?

関本 第2戦のあとは覚えていないんですけど、甲子園に帰っての初戦(第3戦)の前にはミーティングがあったはずです。誰が何を言ったのかなどは詳しく記憶していませんが......。

 ただ、負けた内容はよくなかったですけど、2003年の時も連敗でスタートしていたこともあってチームに焦りは感じませんでした。いいところを何も出せませんでしたし、JFK(ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之)を投入する勝ちパターンの展開に持ち込めなかった、という試合だったので。

――苦しいスタートとなってしまいましたが、甲子園に戻れば流れが変えられるという気持ちだった?

関本 そう思っていましたよ。すでに話しましたけど、2003年のダイエー(現ソフトバンク)とのシリーズでは福岡ドームで連敗して、甲子園で3連勝して盛り返しましたからね。第3戦目以降にスタメンで出る機会があれば、なんとか勝利に貢献したいと考えていました。

(清水氏の証言4:「藤川球児のフォークも余裕をもって見逃せた」 ロッテが第3戦も大勝できた理由>>)

【プロフィール】
関本賢太郎(せきもと・けんたろう)

1978年8月26日生まれ、奈良県出身。天理高校3年時に夏の甲子園大会に出場。1996年のドラフト2位で阪神タイガースに指名され、4年目の2000年に1軍初出場。2004年には2番打者として定着し、打率.316の高打率を記録した。2007年には804連続守備機会無失策のセ・リーグ新記録を樹立。2010年以降は勝負強さを買われ代打の神様として勝負所で起用される。2015年限りで現役を引退後、解説者などで活躍している。通算1272試合に出場、807安打、48本塁打、312打点。

プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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