「記憶から消し去りたい」阪神OB・関本賢太郎が語る2005年日本シリーズ ロッテに4戦合計33-4で敗戦「調整が難しかった、は言い訳になる」 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

――ロッテはソフトンバンクとのプレーオフ第5戦から、中4日で日本シリーズに臨みました。

関本 当然、プレーオフを勝ち上がっていく大変さもわかります。ロッテからすれば、「プレーオフでレギュラー陣の体力を消耗した」とも言えるわけですし、逆に阪神に対しては「3週間ゆっくり休めたのだから、調整時間も十分にあった」「ケガをしていた選手も治す時間があったはず」とも言えるわけじゃないですか。

 日本シリーズの第1戦、ロッテは清水(直行)さんが登板されましたが、プレーオフがなかったりプレーオフがもう少し早く終わっていたりしたら、違うピッチャーが投げる予定だったかもしれない。試合間隔の影響は一概には言えません。なので、仮に阪神側が「調整が難しかった」と言ったとしても、負けた言い訳になるでしょうね。

――当時、調整面の違いが話題になりましたが、阪神が4連敗した理由は違うところにあった?

関本 影響もないことはないでしょうけどね。「同じ条件ではないわな」といったところでしょうか。

【阪神とロッテは「似ているチーム」だった】

――2005年は交流戦がスタートした年でもありました。ロッテとの交流戦の対戦成績は阪神の2勝3敗1分けでしたが、ロッテにどんな印象を持っていましたか?

関本 とにかくチームに勢いを感じました。特に若手の西岡(剛)、今江(敏晃)などの勢いはすごかったです。中堅どころも福浦(和也)さんやサブローさんら実力のあるバッターがいましたし、李承燁(イ・スンヨプ)やベニー(・アグバヤニ)、(マット・)フランコら、外国人助っ人が全員活躍していましたよね。「バランスがいいチーム」という印象でした。

 それと、応援団も含めた一体感があった。12球団の中でも当時のロッテは特殊な応援スタイルだったし、そういった部分でもちょっと圧倒された感じがあったかもしれません。

――当時の阪神とロッテは「似ているチーム」という見方も多かったです。

関本 両チームとも、ピッチャー陣は先発もリリーフも含めて盤石でしたし、"先行逃げきり"という勝ちパターンを確立していたように思います。打線も1番に、阪神は赤星(憲広)さん、ロッテも同じく俊足の西岡がいましたし、つないでいく攻撃スタイルも共通していたんじゃないかなと。そういう意味では、確かに似ていたかもしれません。

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