斎藤佑樹「5回4失点のピッチングでも勝つチャンスがあるんだ」プロ初先発で得た自信と1年目に味わった地獄 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 梨田(昌孝)監督は「右ピッチャーの左わき腹痛は出会い頭の事故のようなもので、身体がキレているときほど何の前触れもなく来るんだよ」と話して下さいました。実際、あの日の僕はことのほか体調がよく、ケガをするような予感もまったくなくて......あえて原因を探すとするなら、マウンドが硬いように感じて、踏み出した左足がギュッと止まるので、その分の反動をどこかに逃がさなければならないということはあったかもしれません。

 どうやってその反動を逃がすのかと考えたら、たぶん腹斜筋を回さなければならなかったんでしょう。あとは、僕のその当時のフォームが縦振りではなかったことも、わき腹に負担がかかった理由だったのかもしれません。高校、大学時代のよかった時はきれいな縦振りだったのに、プロに入ってスライダーを曲げたいという意識から横振りになっていた......それもよくなかったんだと思います。

 僕は大学を卒業するまで、投げられなくなるような大きなケガをしたことがありませんでした。だからケガでローテーションを飛ばすとか戦列を離れるということへの心のダメージは大きくて、すごく落ち込みました。今から思えば腹斜筋の肉離れは珍しいことではないし、1カ月もあれば復帰できます。

 でも、その時の僕にとっては、せっかくデビュー戦からいい感じで来ていたのに、こんな大きなケガをしてしまって、という後悔の気持ちがありました。

 登録を抹消された直後は、まずケガを治すことに専念しました。痛みもなくなって、ある程度、投げられるようになってからは、いかにポテンシャルを上げるかを考えました。まずは身体のキレをもっと出すこと。それから、1軍にいたときよりもピッチャーとしてレベルアップすること。そこを目指して1カ月半、過ごしました。

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 二軍での実戦で徐々に球数を増やし、一軍復帰が射程距離に入ってきた......そんな期待感に包まれた鎌ヶ谷には、スタンドを埋め尽くす観客が押し寄せた。6月21日、イースタンのジャイアンツとの一戦。うだるような暑さのなか、斎藤は涼感たっぷりのピッチングを披露する。

次回へ続く

プロフィール

  • 石田雄太

    石田雄太 (いしだゆうた)

    1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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