『プリンスホテル野球部物語』石毛宏典は強豪社会人チームでプロではなく支配人を目指した (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

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 同年10月には石毛、中尾、中屋が全日本に選ばれ、キューバで行われた第5回インターコンチネンタルカップに出場。アメリカ、ニカラグア、プエルトリコ、パナマ、そしてキューバと2試合ずつ戦い、日本はキューバに2敗して8勝2敗。貴重な経験を積んで帰国したあと、プリンスは日本選手権の予選でも勝てなかった。すると状況が変わった。

「下田キャンプの時も、宿舎でベッドメーキングとか、ホテル業務の研修があったんだけど、そこで初めて、新入社員研修をやることになったんです。高輪プリンスホテルの社員寮に寝泊まりして、夜中の2時、3時に起こされて高輪の街中を歩いたり、走ったり、スピーチをやったり、いろんなことを経験した4〜5日間の合宿でした」

【悲願の都市対抗初出場】

 研修が終わりシーズンオフ。選手たちは各ホテルに配属され、ディナーショーなどのイベントでホテルマンとしての経験を積んでいく。その際、東京プリンスに配属された石毛は、総支配人の古川澄男から「おまえはホテルマンとして見込みがある」と期待されたという。

「古川さんは僕のいろいろな所作を見ていて、『おまえなら十二分にできる。オレが教育してやるから、残れや』って言われたんです。石毛はプロに行くものだと思われていたようで。そこで僕は『プロに魅力ないんで、残ります』と答えました」

 明けて80年。静岡・焼津キャンプを経てチームの雰囲気は引き締まり、初出場した3月のスポニチ大会でベスト8。その後、石毛、中尾、中屋は再び全日本に選ばれ、8月から9月にかけ、第26回世界アマチュア野球選手権大会に出場。日本で初開催されたことで注目が集まり、大学生で唯一出場した東海大の原辰徳(元巨人)と石毛の三遊間コンビが話題となった。

「12カ国総当りの大会。日本はキューバと韓国に負けて9勝2敗の2位だったんですが、原、石毛が話題になって、活躍もして活字になったら、千葉の田舎の、僕の実家が大変ですよ。急に親父が『プロに行ってほしい』って言うんですから。農家の次男坊だから好きに生きていい、と言ってたはずが......。『大学4年間、おまえに金使ったんだから、プロ行って、契約金で返せ』と」

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