1年生開幕投手・斎藤佑樹が衝撃の神宮デビュー。初登板初勝利も「大学野球のレベルの高さを痛感させられた」 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 シーズンが進むにつれて身体が軽い感じもほどよく解消され、マウンドの感覚もだんだんつかめてきます。次の立教戦はリリーフで2試合に投げて、いずれもゼロに抑えました。土曜日は7−4と早稲田がリードして9回、福井(優也)がマウンドへ行きます。

 ところが福井のコントロールが定まらず、ヒット2本と2つのフォアボールで1点を奪われて、なおツーアウト満塁。僕はベンチ前でキャッチボールをしていましたが、福井はストライクが入らず、ツーボールとなったところでマウンドへ上がりました。ちゃんと覚えているわけではないんですが、ポンポンとストライクをとって、最後はツーシームでゴロを打たせたんじゃなかったかな......えっ、違いましたか? あれっ、まっすぐで空振り三振? それは覚えてないなぁ(ストライク、ストライクで2−2の並行カウントに戻し、ファウルのあと、空振り三振)。

 もちろん僕は先発だけじゃなく、リリーフもやるつもりでいましたし、実際、雨で一日あいた月曜日の立教との2回戦も、僕はリリーフで8回からの2イニングを投げました。で、立教に連勝、早稲田は開幕6連勝となりました。

 次の明治戦は、ともに無敗、開幕6連勝の勝ち点3同士という対戦です。土曜日の先発は須田さんで、僕は日曜の先発を言われていました。初戦、須田さんが完封(2−0)して、2回戦を迎えます。五月晴れの気持ちがいい日で、お客さんもたくさん入っていました(早慶戦を除けば当時で18年ぶりという観衆3万人)。この試合は調子がよくて、5回まで0−0。早稲田が6回に3点をとって、その裏、ツーアウト満塁のピンチで代打に謝敷(正吾)くんが出てきます。

 謝敷くんは僕と同じ1年生で、大阪桐蔭の3番バッターでした。夏の甲子園でも対戦してインコース低めのスライダーで三振をとった記憶があります。そしてこの時も、球種は覚えていないんですが、変化球で空振り三振をとったんですよね。僕はその回限りで交代(6回93球、被安打5、奪三振4、与四球2、無失点)して、その後を福井、松下さんがつないでくれて、5−0で勝つことができました。これで3勝目、チームも開幕から8連勝です。

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 早稲田が明治に勝って、勝ち点4。慶應も法政に勝って勝ち点3。この時点で優勝の可能性は勝ち点3の明治も含めた3校に絞られていた。頭ひとつリードしていた早稲田は、慶應に1つ勝てば、その時点で優勝が決まる。斎藤にとっては初めての早慶戦に優勝がかかることになったのだ。土曜日の先発は須田、そして斎藤は日曜日に先発することが決まっていた。

(次回へ続く)


斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日生まれ。群馬県出身。早稲田実業高のエースとして、2006年夏の甲子園において「ハンカチ王子」フィーバーを巻き起こし、全国制覇。早稲田大進学後も東京六大学リーグで活躍し、2010年にドラフト1位指名で北海道日本ハムファイターズに入団。1年目から6勝を上げ、2年目は開幕投手も務めた。ケガに悩まされて2021年シーズンで引退。株式会社斎藤佑樹を立ち上げて、野球の未来づくりにつながるさまざまな活動を開始した。

【著者プロフィール】石田雄太(いしだ・ゆうた)

1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Nunber』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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