元本塁打王ブランコの本音「落合さんクレバー。中畑さんコメディアン」 (3ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi
  • photo by Asa Satoshi

「なんでも聞いてくれ」と言うので、まずは日本の野球の印象について聞いた。ブランコは練習量の多さに言及したが、決して否定的ではなく、むしろ「若い頃はあれぐらいの練習量が必要だった」と語った。意外なことだが、日本でプレーした経験のあるドミニカの選手は、日本流のトレーニングを肯定的にとらえている者が多い。日本での猛練習が、自分を変えたのだという意識があるのかもしれない。

 日本で8シーズンプレーし、181本塁打を放ったブランコだが、そのなかで最も苦労した投手を覚えているかと問うと、「うーん」と少しうなったあと、こう答えた。

「あいつだよ。ジャイアンツの左の先発ピッチャーだ。名前は思い出せないけど......」

 案内人としばし考えたのち、「内海哲也」の名を告げると、「そう、そいつだ」と言って、懐かしそうに笑った。

「ヤツのスライダーはほんとに厄介だったよ」

 今、内海が西武でプレーしていることを告げると、「本当なのか⁉」と目を丸くして驚いていた。

 ブランコは3球団で落合博満、中畑清など、5人の監督に仕えた。彼らにはどんな印象を持ったのだろうか。

「落合さんは非常にクレバーな監督で、自分にもよくしてくれた。しっかりとした理論を持っていたし、外国人であろうとなかろうと、分け隔てなく指導してくれた。最高の監督だった。本当に気持ちよくプレーしやすいように使ってくれた。やっぱり選手にとっては、使ってくれる監督が一番なんだよ。でないと、ホームランを打つチャンスもないからね。落合さんがいなくなった時は、本当に困ったよ。その次の監督にはいろいろと苦労したからね(笑)。

 中畑さんはとにかく明るく、面白い人だった。いつも冗談ばかり言って笑わせてくれた。コメディアンみたいだったよ。そのせいか、僕自身も普段より明るくなった気がしたよ。まあ、ヨコハマにいた時は、チームは負けてばかりで、彼はマネージャーとしてどうかと思ったけど、とにかく楽しい人だった」

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