大谷翔平のメディア対応をロバーツ監督が重視するワケ バリー・ボンズと同僚だった現役時代の経験 (2ページ目)

  • 取材・文●奥田秀樹 text by Okuda Hideki

【ロバーツ監督が重視する大谷のメディア対応】

 おやっと思ったのは、キャンプ取材に来ていたMLBの重鎮記者、スポーツ専門サイト『ジ・アスレチック』のケン・ローゼンタールが大谷のメディア対応について、自身の記事の中で注文をつけていたことだ。エンゼルス時代より話す機会を増やさないと、チームメイトに迷惑がかかり、気まずい雰囲気になる心配があるという。例えば負けた試合であっても、時にチームを代表して口を開かねばならない。

「(注目度の高い)選手がメディアと話さないと、ほかの選手が代わって話さなければならなくなる。チームメイトはその選手が責任を果たしていないと憤慨し、チームの雰囲気が悪くなっていく。些細なことと思うかもしれないが、長いシーズンだと、些細ではなくなっていく」

 球界の看板選手ゆえの注文なのだろう。ロバーツ監督はこの件について訊かれると、現役時代の2007年にチームメイトだったサンフランシコ・ジャイアンツのバリー・ボンズを引き合いに出した。あの年、ボンズはハンク・アーロンの通算本塁打記録に挑戦し、全米から記者が集まったが、ボンズはクラブハウスで饒舌に喋るタイプではなかった。

「(大谷とボンズの)ふたりを比較するつもりはないけど、(当時、ボンズの代わりに)私が多くの質問に答えねばならなかった。ほかの選手はその役割に関心を示さなかったからね......」

 その年のジャイアンツは71勝91敗でナ・リーグ西地区の最下位に沈んでいる。

 2月の大谷は2月12日現在ですでに3度も喋っているが、ロバーツ監督は折を見てメディア対応について大谷と話すと答えている。

「ドジャースのユニフォームを身に着けた時に伴うスタンダード(規範)がある。ファンにサインをサービスすること、メディアに対応すること。誰にとっても学び覚えていくことだが、勝利への期待に応えると同時に、質問に応えるのも仕事の一部だ」

 ローゼンタール記者は「メディアに対応することで、人柄や考え方を知ってもらえるし、アスリートにとっても良いこと」と指摘する。

 米国の人たちは、当然大谷についてもっと知りたいと願っている。間に入るのはメディアの役割だ。とはいえ、大谷は今季もDHでのフル出場に加え、投手としてのリハビリがあって忙しい。日々のルーティンは細かく決まっている。加えてメディアに話す機会が増えれば、言葉尻をとらえられたり、誤解を招いたり、リスクもある。気が散ることもある。果たして2024年の大谷はどう対処していくのだろうか。

 アメリカ野球学会「SABR」によると1922年から1934年、球界の最高給選手はあのベーブ・ルースだった。1930年、年俸8万ドルの2年契約を勝ち取り、当時のハーバート・フーバー大統領の年俸7万5000ドルを上回った。大統領よりお金をもらうのはどうなのかと言う質問に"'Why not? I had a better year than he did.(なぜ、ダメなんだ? この1年、彼よりもいい仕事をしているよ)"と答えたのは有名なエピソードだ。ちなみにルースの当初の要求は年俸8万5千ドルの3年契約で、そこでも「大統領は4年契約だけど、自分の要求は3年だから」と大統領以上の報酬は妥当だと説明していた。

 ルースは聖人君子ではなかったし、フィールド外での飲酒や女性関係などゴシップネタも豊富で、とんでもない報道も多々あっただろう。しかしながら新聞をはじめとする当時のメディアを通して米国の国民的英雄になったことは確かで、今でも史上最も偉大な英雄のひとりとして認知されている。

 今はSNSが大きなインパクトを持つ時代だが、「7億ドルの男」大谷についての評価も、メディアの報道を軸に形作られていくのだろう。

前編〉〉〉大谷翔平の価値をドジャースは最大限プラスにできるか 23年前の高額契約のA・ロッドと比較

プロフィール

  • 奥田秀樹

    奥田秀樹 (おくだ・ひでき)

    1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。

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