「どうせオレは使われねえんだろ」選手たちの目が死んでいた青学大野球部を再建 安藤寧則監督は5年でどうやって日本一へ導いたのか (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sportiva

── そういう世代と向き合いながら、チームとして結果を出すというのは並大抵のことではありませんね。

安藤 高校では2年ちょっと、大学でも3年ちょっとの限られた時間のなかで、自分に伝えられることは何だろうとずっと考えてきました。キツい時期もありましたよ。つい『おいおい、男だったらこういうふうに考えるのが普通だろ』って思ってしまうんです。でも、それでは価値観の押しつけにすぎません。じゃあ、どうするかといえば、僕なりの正義感で何かを伝えるしかありません。これでいいのかと思いながら、何かを伝えると、それがどうだったかという答えはすぐに出ます。だって、答えは僕の目の前に突きつけられますからね。

── 監督の目の前?

安藤 選手というのはパフォーマーですから、野球にしても野球以外の言動にしても、表に出てきたことが、つまり彼らの答えなんです。伝わってくれたかなと思った時、「えっ、こういうふうに解釈したのか」とか、「まったく響いてくれてねえな」とか、「おっ、変わってくれてるぞ」とか、何気ない言葉や態度、プレーに変化が垣間見えるんです。僕のやり方がどうだったかの答えは相手にそのまま出るものなので、それがうれしくもあり、難しくもあるんです。監督1年目はそのあたりの見極めで終わってしまいました。

【やっと野球の神様の許しを得た】

── しかしながら監督2年目(2020年)は新型コロナウイルスの影響で春季リーグ戦が中止という、よもやのスタートになってしまいます。

安藤 ただ、この時に入部してきた1年生たちは、僕が高校まで出向いて、実際にプレーや立ち居振る舞いを見て、話をして、それでご縁をもらった選手たちだったんです。僕なりにウチの環境に合う選手を選んだつもりでしたから、むしろコロナ禍の時間をうまく使うことでじっくりと大学生活をスタートさせるという利点もありました。

 今度こそあと1勝、というところにこだわって迎えた秋のリーグ戦、1年生バッテリー(下村海翔、佐藤英雄)を抜擢してスタートすることができたのも、試合のできない時期を経たからでした。その結果、ついに2部で優勝することができました。しかもその時は(新型コロナウイルス感染拡大の影響で不利益を出さない配慮による)特別措置で入れ替え戦もなく1部に自動昇格して、3年目の春は7校による1部リーグを戦ったわけです。

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