「トレンディエース」の母校に大器。快速右腕にスカウトは「見方が変わった」

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kikuchi Takahiro

契約金1億と評された交流試合出場の好投手は?>>

 瀬田工に最速146キロを計測する右腕がいるらしい──。

 今年2月にその情報を教えてくれたのは、滋賀県の高校野球に精通しているライターの馬場遼さんだった。

 瀬田工は1980年に甲子園春夏連続出場を果たし、夏はベスト4まで躍進。1982年には後年「トレンディエース」として名を馳せる西崎幸広(元・日本ハムほか)らを擁して、選抜高校野球大会に出場。滋賀県の強豪校として知られていた。

 だがそれ以来、瀬田工は甲子園から遠ざかっている。近隣に大手企業の工場が多い土地柄ということもあり、瀬田工の就職率は抜群で、今も学校の人気は高い。しかし、現在の野球部は「古豪」という位置づけにある。

 馬場さんの話を聞いて、私も瀬田工の練習を見に行ってみることにした。

瀬田工から西崎幸広氏以来のプロ入りを目指す小辻鷹仁瀬田工から西崎幸広氏以来のプロ入りを目指す小辻鷹仁 好投手の名前は、小辻鷹仁(こつじ・たかと)という。グラウンドで部員たちがキャッチボールをするなか、どの選手と教わらなくても「この選手が小辻だな」とすぐに確信することができた。

 サイドスローに近いスリークォーターの角度で、腕の振りがいかにも柔らかく、美しい。この日は強度の高い投球はしなかったものの、この腕の振りだけでもただ者ではないと思わされた。

 中学時代はプロなど考えもせず、手に職をつけるために瀬田工に入学したという。だが、高校で体重が約15キロ増えて球速も20キロ以上増速。県内でも注目の存在になっていった。

 野球部のグラウンドに面する小屋には、甲子園出場を記念した古びたパネルが置かれていた。同校OBの小椋和也監督は「小辻以外にも130キロを超えるピッチャーが4人います。力のある選手が多いので、今年がチャンスやと思うんです」と古豪復活への熱い思いを語っていた。

 それから半年が過ぎ、小辻の名前は雑誌やウェブを通して「ドラフト候補」として報じられるようになっていた。最高球速も147キロまで伸びた。

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