涌井秀章は新天地ロッテで再び輝きを取り戻せるか?

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke

 2013年シーズンオフの「FA市場の目玉」と言われたが、結果的に手を挙げたのは1球団のみ――。その事実が、現状の涌井秀章の評価を物語っている。

 西武残留か、ロッテ移籍か......。二者択一を迫られた涌井は12月18日、新天地への旅立ちを決断した。

西武時代は2度の最多勝を獲得し、2009年には沢村賞に輝いた涌井秀章。西武時代は2度の最多勝を獲得し、2009年には沢村賞に輝いた涌井秀章。

 涌井が西武で過ごした9年間を振り返ると、まさにローラーコースターのような激動の軌跡だった。2004年にドラフト1巡目で指名された涌井は、2006年に2ケタ勝利を達成。2007年に17勝で最多勝に輝くと、プロ5年目の2009年には16勝を記録して自身2度目の最多勝を受賞。さらに、投手にとっての最高栄誉である沢村賞を獲得した。211.2回を投げて11完投を記録するなど、西武のエースとして誰もが認める存在になった。

 だが、翌年から成績が下降していく。2010年は14勝をマークしたが、8月以降はストレートがシュート回転する場面が目につき、わずか3勝。2011年は9勝に終わり、プロ入り2年目から続けていた連続2ケタ勝利が5年でストップ。2012年は開幕から3試合続けてKOされると、ブルペンに配置転換された。2013年は先発として復活を目指したが、ストレート、変化球とも思うようにコントロールできず、シーズン途中から再びリリーフに回っている。

 特に苦しんだこの2年間は、グラウンド外の"トラブル"もつきまとった。2012年5月にはある写真週刊誌のスクープで女性問題が発覚し、1カ月の"謹慎"処分を受けた。2013年にはワールド・ベースボール・クラシックの合宿中、深夜に女性といる場面を再び激写された。独身の涌井にとって特段咎(とが)められるような行動ではないが、コンプライアンスを重んじる親会社の意向もあってか、厳しい注意を受けている。

1 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る