箱根駅伝3年連続区間新の佐藤悠基が語る駅伝観「どの区間をどんな意気込みで走りたいかとよく聞かれたけど、そういうの関係ないからと」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by アフロスポーツ

【箱根駅伝3年連続区間新を出して感じること】

 4年時は、雌伏の1年だった。春にアメリカでのレースで故障し、足の状態がよくないままシーズンに入った。自分でコントロールして走ることができない状態が続き、レースは大学のポイントが勝敗を分けるインカレなど出場が求められる大会だけに絞った。

「個人のレースはほぼ全部キャンセルしました。状態がよくないなか、焦って無理するよりも1年間しっかりとトレーニングする時間に充てて、実業団に入ってから走ろうと思っていました。大学では走っても1円にもならないので、それなら実業団に入って、しっかりと走ってお金を稼いだほうがいいと思ったんです。捨てた1年というと言い方が悪いですけど、そんな感じでした。箱根は襷をもらった順位が18位とかなり悪かったので、前半から無理して入り、その分伸びなかった。区間新は出せなかったですけど、(区間2位という)結果に対して落ち込むことは一切なかったです」

 佐藤はトータルで箱根を4回走り、3度の区間新、2位を一度という成績を残した。長らく1区の区間記録となっていたことについては、「箱根絡みの仕事がもらえる恩恵を受けていた」と笑った。最高の強化の場となった箱根は、その後の競技生活にどんな影響を与えたのだろうか。

「今の自分があるのは、箱根をやりつつ4年間をしっかり過ごし、よい経験ができたからだと思っています。その経験を元に、今、いろいろと試行錯誤しながらやれているので。また、自分の名前が立った時期でもありました。箱根を4回走り、ある程度結果を残したことで世間的に認知されるようになった。箱根の影響力の大きさを感じましたし、この4回の箱根で選手としてのブランドを少しは高めることができたのかなと思います」

後編へ続く>>「ベテラン」という言葉に違和感 「本気で世界を目指している選手にとって年齢は関係ない」

プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る