競歩・池田向希の前に大きな壁。世界選手権の金メダル獲得には打倒・山西利和が必要 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Naoki Nishimura/AFLO SPORT

「終盤の数周回を3分50秒くらいまで上げきれなかったというのはまだまだ自分の実力不足だと思いますが、1時間19分30秒を出せばいい条件のなかで、18分台のタイムでまとめられたのは収穫だと思います。

 この冬期は、ペースを上げたり下げたりするなかで、体の使い分けの練習に取り組んで、歩型の改良にも取り組んできました。今回は20kmを通してジャッジからは注意や警告のパドルが1枚も上がらなかったので、その部分でも成果が出ていることを確認できました」

 しかし、初めて日本選手権は優勝したものの、出場しなかった世界王者・山西の存在はまだ重いものがある。

「初優勝はうれしいですが、山西さんに勝って初めてのうれしさもあるのかなと思う」(池田)

前日会見でも山西の不在について質問され、「山西さんはレース展開のバリエーションが豊富で、嫌らしいところで仕掛けたり、周りを見て展開を変えてくるので戦う上ではやっかいな相手です」とも話していた。今回はレース中も、「仮想・山西」は頭のなかには浮かべず「8月の世界選手権で山西さんと戦う権利を獲得する」ということだけを心のなかに秘めて戦っていた。

 高校時代はともに静岡の同学年という、U20世界選手権に出場した川野将虎(旭化成・昨年の世界選手権35km2位)の陰に隠れるような存在で国体にも出場できず、3年生になって、初めて出場したインターハイも5位だった池田。高校時代最後のレースだった全日本選抜競歩能美大会では1時間22分43秒の好記録で7位になったが、東洋大入学時はマネージャー兼務という立場だった。

 それでも18年5月の世界チーム競歩選手権20kmでは、1時間21分13秒で優勝し、日本団体優勝にも貢献と頭角を現した。そして19年の日本選手権では高橋に1秒差で敗れて2位だったが、3月の全日本選抜では、同年世界ランキング3位(1時間17分25秒)を出し、初代表だった世界選手権ドーハ大会では、高気温と高湿度の悪条件の中でも6位入賞を果たした。

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