箱根駅伝を立教大・上野裕一郎監督が振り返る。当日のメンバー変更は「普通、そんなことしない。何がメリットなのかピンとこない」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 時事

──襷がつながらないことの怖さはありましたか。

「復路には自信がありましたし、7区の(服部)凱杏がうまく抜けられれば繰り上げはないと思っていました。9区の10キロ過ぎには大丈夫だろうと確信しましたが、正直な話、襷がつながるというレベルの話をしていることが違うよなと思っていました。襷をつなげたことを喜んでくださる方がたくさんいますが、うちのチームが目指すところはそこじゃないんです。僕はシード権を狙えるチームだと考えていたので、繰り上げとか想像もしていませんでしたね」

──往路、復路の2日間を戦い終えた気持ちは、どういうものでしたか。

「自分が現役の時は、2日間って長いなぁって思っていたんですが、指導者として走った箱根はあっという間でしたね。それに1年間、努力してきた結果が、こんな結果になってしまうんだという怖さも感じました。今回、うちのチームはベストメンバーですし、このメンツなら10番前後にいってもおかしくはない。そういう期待もあったと思いますが、選手は力を発揮することができなかった。みんな、まだ自分に自信を持てていないのかなと思うところもありますが、選手が持っている力を100%発揮させることができなかったのは、自分の責任だと思っています」

後編に続く>>「箱根駅伝18位の立教大に足りなかったもの」


上野裕一郎(うえの・ゆういちろう)
立教大学陸上部男子駅伝監督。1985年7月29日、長野県生まれ。身長183cm。
佐久長聖高校、中央大学、ヱスビー食品、DeNAを経て現職。現役選手でもあり、「ランナー兼指導者」の二刀流で活動する「日本一速い監督」。2023年1月22日に行なわれた第28回全国都道府県対抗男子駅伝では、長野県代表としてアンカーで出場し、1位でゴールテープを切った。

◆箱根駅伝2023特集 レースの裏側、監督インタビューなど他の記事を読む>>

【筆者プロフィール】佐藤 俊(さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

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