早稲田大・駅伝の主力2年生コンビが箱根初出走時を振り返る。「あとからテレビを見て、あっ箱根走ってたんだ」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文・撮影 text & photo by Sato Shun

──しかし、出雲駅伝では4区区間賞で衝撃的なデビューを飾りました。

石塚「夏合宿をやりきれた自信が大きかったですね。夏合宿、チームで最初から最後まで練習をできたのは自分と大志だけだったんです」

伊藤「マックスで100%できたのは、ふたりだけだった」

石塚「そう(笑)。ポイントを全部やりきって、練習の消化率は100%でした。それが自信になりましたし、出雲は風が強いんですけど、僕は這うようにピッチで押して行くので、風の影響を受けにくいんです。そのおかげもあり、区間賞を獲れたんですけど、僕がレースで大事にしていることは安定性。それをしっかりと出せて、結果も出たので夏合宿でやってきたことは間違いがなかった。春にスタートした時は、大志と比較されて早く追いつきたいなって思っていたんですけど、出雲で少しは近づくことができてよかったなと思いました(笑)」

伊藤「出雲については、僕がブレーキしちゃったからなぁ。石塚が2位で持ってきてくれて、僕のところで前の東京国際に追いつけば優勝という大事な区間になったけど、そこで自分の走りができず(区間12位)、チームに貢献できなかった。それがすごく悔しかった。石塚と比較しても自分の結果がすごく情けなく感じたので、そこから練習方法を変えたりして、自分にとっては大きなターニングポイントになりました」

 伊藤と石塚は、チームの主力として、その後、全日本大学駅伝を走り、伊藤は1区7位、石塚は5区4位という結果を残して、チームは6位と次年のシード権を獲得した。箱根駅伝でもふたりは1年生ながら往路区間に配置され、伊藤は5区11位、石塚は4区6位という成績だった。

──ふたりにとって箱根駅伝とは、どういう位置づけですか。

伊藤「箱根は小さい頃から見ていたんですが、箱根に出るために陸上をやってきたわけじゃないですし、箱根当日も関東の大会だなぐらいに思っていたんです。でも、いざ石塚から襷をもらって、箱根の山をこれから自分が上るんだって思うと、走り始めて100mでゾクゾクしてきました。緊張もあったけど、武者震いというか、興奮しましたね」

石塚「僕は箱根駅伝を昔から見てきたので憧れはありました。でも、その舞台と自分が走ることは完全に分離されているんです。箱根は、別世界だなって思ったんです」

伊藤「わかる。なんか、芸能人を見ているイメ-ジ」

石塚「(笑)。僕は自分が走っている時、テレビで見た箱根だと全然思わなくて......。注目度や外の声と自分を分離して走るので、そういう外的な影響を受けないんです。それが安定性にもつながっていると思うし、逆に冷酷とか言われる要因のひとつかなぁって(苦笑)。あとからテレビを見た時、あっ箱根走っていたんだって、そんな感じでした」

──往路で1年生が4区5区とつなぐのは、なかなかないことです。

石塚「確かになかなかないかも」

伊藤「それ、成り行きだよね(笑)。2区の中谷さんは前から決まっていて、4区も相楽(豊・前監督)さんは重要区間で中谷さんの次に走れる人って言っていたんです。誰がくるのかなと思ったら石塚で、ゲームチェンジャーの役割だよね」

石塚「中谷さん以外で一番走れる人ってことで、自分は4区に選ばれたんですけど、4区と言われた時は素直にうれしかったです。出雲の時、千明(龍之佑・故障により欠場・現GMOインターネットグループ)さんが走ったら、自分は落とされていた。そこでたまたまもらったチャンスを活かして出雲を走り、全日本から箱根へと続いたので、数少ないチャンスを取りこぼさずにいけてよかったなと思いました」 

 ふたりが往路で駆けた箱根駅伝、早稲田大は13位に終わり、シード権を失った。主力として走り続けたふたりには、今の早稲田の課題が明確に見えていた。

後編へ続く>>ふたりが求める意識の変化「監督が代わって一時的によくなっても、強くなっていかない」

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