箱根駅伝でエース区間を走った湯澤舜は初マラソン時に痛感。「大学でやってきたことだけじゃ無理だな」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 共同

 そのために湯澤は練習で走ったあとに自重を使ったトレーニングを行ない、さらにそこから足を動かす練習をこなしている。地道で苦しい練習を積み重ねた結果、レース後半にも足が使えるようになり、後半の失速も少なくなった。

 それが、今年3月の東京マラソンの結果につながった。

「東京マラソンの目標は、2時間8分切りとMGCの出場権獲得でした。レースは、25キロぐらいまでキロ3分をきるペースで行ったんですが、そこまで引っ張ってきた選手が引っ張れなくなった瞬間に、みんな前に行きたくなかったのか、牽制したのか、1回ペースが落ちてしまったんです。それはもったいないと思って、30キロ過ぎにもう1回ペースを上げようと、自分は使われる覚悟で前に出たんです。そこで自分がペースを上げたと周囲の人に言われたんですけど、ペースが上がったのではなく、自分は元に戻したという感じでした。そうしたら周囲の選手が落ちて行ったんです」

 そこから日本人トップとなった鈴木はさらにギアを上げて前に出ていった。勝負レースであれば遅れるわけにはいかないが、湯澤はこのレースの目的を達成することに重きを置いて自重した。

「健吾さんは、オレゴンの世界陸上のマラソン代表選考があり、勝ちにいくレースだったので、前に出て行ったんですが、自分は勝負よりもタイムをきることが重要で、そこで冒険しなくてもいいと思っていました。結果的に狙いどおりにMGCを獲れたのは、すごく大きかったですね。本番までの間、いろいろ試すことができますから」

練習する姿でチームを引っ張っていきたい

 MGCに向けて時間的な余裕ができたので、後半のペースアップのための練習や他の課題にも注力することができる。同時にMGCを獲り、レース以外の活動も増えていきそうな感じがするが、湯澤にはイベントに出演したり、SNSで積極的に自己発信していく感じがない。東海大時代もそういうことは主将の湊谷(春紀・現NTT西日本)や黄金世代に任せていた。

「イベントも含めて表に出るのって苦手なんですよ(苦笑)。SNSも陸上のアスリートの皆さんがけっこう頻繁に発信しているじゃないですか。自分は、投稿とかしていなくて、ほぼノータッチ。自分がいいなと思ったものでほどほどにやるのがいいのかなと思っています」

 SGホールディングスでは、今年から副将になった。チームのキャプテンに次ぐ立場として、選手たちをリードしたり、チームを引っ張る役割が求められる。その役割も湯澤は自分らしく全うしようとしている。

「自分は副将ですけど、言葉で引っ張るというよりも練習での姿で語っていくイメージです。自分はこれまで努力というか、泥臭くやってここまできているので、そういう部分は練習でしか見せられないと思うんです。コミュニケーションをとりつつ、練習で引っ張っていって、チームとしてはニューイヤー駅伝で勝てるようにやっていこうと思っています」

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